• 小宮山剛

秘蜜の秘密 ~みつばちのささやき~

つばめ殿が消え、夏の景色はよりいっそう青くなり、僕のこころの行き場所は損なわれてしまった。毎日出勤するカテリエの入口にはただの骸と化したつばめ殿の巣があり、僕はそれを意味もないのに見上げ、声をかけた。それはまるでつい最近まで同棲していたガールフレンドが出ていってしまった後の我が家のようで、僕は毎朝空漠にキスをし続けるかのように、つばめ殿がもういない巣に向かって話しかけ続けた。


いつも答えは決まっている。「あなたはけっきょく、誰のことも愛していなかったのよ」。判で押したような同じ答えを毎朝受け取りながら、僕は心をやせ細らせていった。僕はけっきょく、つばめ殿のことを愛することができていなかったのだ。かつて誰のことも愛することができなかったのと同じように。



・・・と、だいぶ脚色が加わったこんな毎日をおくりながらも、僕は8月24日に開催される「全国ふるさと甲子園」当日をむかえた。それはまさにフェスタであり、椎葉村を全国の皆さんに知らしめるにはうってつけの場所だった。そこで僕たちは「椎葉の秘蜜」をはじめとするたくさんのお土産品を売ることになっていたし、いくらかのパフォーマンスを披露したり、ご来場いただいた皆さんに愛想をふりまくことになっていた。


「いくらかのパフォーマンス」。この言葉をどう捉えるかが、僕にとっては大きな課題となっていた。それはつばめ殿との別離による悲しみを、多少は薄れさせるくらいに取り組み甲斐があり、こころ楽しいものだった。椎葉の魅力を東京で集まる人々に伝えたい、椎葉の秘蜜をたくさんの人に楽しんでもらいたい。そのために何ができるのか・・・


これから申し上げる劇的かつ劇薬的な「いくらかのパフォーマンス」について述べる前に、その結果を申し上げておくことが必要だと思う。それは、素晴らしい結果だった。椎葉村は「全国ふるさと甲子園」においてお土産部門を制し、椎葉の秘蜜は全国55自治体がもちよったなかでも最も魅力的な「世界に誇る」お土産として取り扱われたのだった。


グルメ賞「お土産」部門受賞を記念してパシャリ

なんとも輝かしく喜ばしい勝利である。ほんとうによかった。みなさん、ふるさと納税でもお求めいただける椎葉の秘蜜をよろしくお願いいたします。みつばちさんたちの頑張り次第なので、季節や数は限られていますが・・・。



・・・物語には裏がある。栄光の裏にある犠牲、悲哀、出会いと別れ。ゲーテが「もっと光を!」と言う一方で、D. H. ロレンスならば「もっと影を!」と言うことだろう。「みつばちさんたちの頑張り」の裏で、また別の「みつばちの頑張り」があることを忘れてはいけない。僕は全国ふるさと甲子園において「いくらかのパフォーマンス」を求められていた。それはもちろん、檀上で1分間PRをすることでもあった。僕はそれをある程度うまくやったと思う。それは、よかった。


ただしかしながら、僕が求められているのは、蜂蜜に適した「いくらかのパフォーマンス」である。


そうだ、蜂だ。僕は蜂になるんだ。イメージはできている。僕は蜂についてのすばらしい写真をいくつか撮ったことがある。それに合わせたイメージを具現化していけば、僕は完全でけちのつけようのない蜂になることができるはずだ。これは間違いがなく具体的で良心的な方策に思われた。


日本ミツバチと西洋ミツバチの混血らしい蜂。かわいい

僕は早速、着こなしを考えるべくインターネッツを探った。キーワードは「蜂 着ぐるみ 可愛い」だ。蜂になるとしたらインターネッツでこのように検索すると相場はきまっている。


検索「蜂 着ぐるみ 可愛い」

・・・誰にだってわかる。僕には無理だ。そこにはサイズという現実的かつ絶望的な課題があり、ポージングこそ僕にも可能かもしれないが、何せ子ども本来の純粋性と純朴性は僕には真似しようもないし批判しようもなかった。却下。


そこで僕はより現実的な方策として、インターネッツにこう入力した。「蜂 着ぐるみ 大人」。この際可愛さより現実的な方策が重要である。さぁ、頼むぞGoogle。


検索「蜂 着ぐるみ 大人」

・・・イイ。すごく。


・・・「頑張ればいけるかもしれない」という考えが、ふと僕の頭をよぎった。それはクラスで一番の美人に声をかけられるかもしれないとか、もしかしたら僕にも吉瀬美智子さんとのランデブーの可能性があるかもしれないとか、そういった類の希望であった。そして同時に、それは絶望でもあった。


もし僕がこれを着て東京の秋葉原を歩いたとしたら、警視庁が総動員で僕を捕らえにかかることだろう。もしそれがハロウィーンに浮かれた渋谷であったとしても、僕は通りがかりの数人からぼこぼこに殴られたことだろう。まるで横転させられた可哀そうな軽トラックみたいに。あれは、ひどかった。


僕は検索ワードはそのままに、より現実的かつ露出が少ない方策を探した。


妥協策となった蜂ぐるみ

・・・これだ!


不敵な笑みを浮かべるこの女性のセクシーさになら、僕もなんとか敵いそうな気がする。僕だってそれなりにセクシーさを兼ね備えているはずだ。さっそく僕はこの画像URLを辿り、入手方法を検討した。やはり掲載元はAmazonということで、僕は全力で注文ボタンをクリックした。


届いた蜂ぐるみ

・・・おぉ、気合十分な感じでやってきた。しかし想定外の「ノー・スリーブ」、袖なしである。黒タイツは準備していたけれど、上のほうは想定していなかったよAmazonさん。いや、僕はそんな細かいところで立ち止まっているわけにはいかないのだ。


僕は普段は着ない黒シャツを引っ張り出し、さっそく試着してみた。普段着ないものも役に立つものだ。シャツだって喜んでいる。なにせ、可愛い蜂の着ぐるみの一部分になることができるのだ。そうなればきっと、棚の奥でカビにまみれながら過ごす夜よりもよい夢をみることができるだろう。この蜂の「いくらかのパフォーマンス」は蜂のためでもあり、僕のためでもあり、眠れる黒シャツのためでもあるのだ。この蜂のコスプレは、みんなを幸せにするのだ。全世界をも、幸せにするのだ。


きみは幸せかい?

あぁ、しあわせ。


黒シャツがなんとも決まっている。後ろのふすまも、手前に映りこんだ火災報知器もばっちりだ。すべてが調和されて、すべてがしっくりときている。


でも、参考画像とはなんとも違うようだ。そうだ、きっとポージングがいけないのだ。僕はAmazonで示されたあのひかえめな北欧美女のことを思い、Googleフォンの自動シャッターをセットしなおした。セットしているあいだじゅう笑いが止まらなくて、二度「OK Google」が作動した「ご用はなんですか?」「すみません、わかりません」



ご用はなんですか?

そう、カワイイはつくれる!


蜂のフォルムが丸いおかげで、なんだか美脚にみえる。太ももの太さに悩んでいる方がおられるのであれば、しかし元来「ふともも」というくらいだからそこは太くてはならないと思うのだけれど、僕は太いふとももが大好きなのだけれど、蜂の着ぐるみを着ることをおすすめしたい。


しかしこれもなんだかAmazonとは違うようだ。セクシーさが足りない。僕はもうワンショットを試すために、Googleフォンの自動シャッターを再度設定した。今回は笑いもおさまり、あくまで真顔なまま設定をすることができた。


・・・ここでひとつ差しはさんでおきたいささやかな事実があるのだが、僕は来年30歳になる。2LDKの部屋の最奥、綺麗なふすま、和室、真顔の30歳間近の男、蜂のコスプレ、取り返しようのない出費。それ以上の要素をここに加えてはいけなかった。恥じらいや悲しみ、「やっぱりやめようか」というイケナイ考え。そのすべてを僕は遮断し、できるだけセクシーな感じを演出してみた。



セクシー

終わった。


僕はすべてを悟った。そして思った。果たしてこれでいいのだろうか。「これでいいのだろうか」というのは、コスプレにかぎったことではない。僕の頭のなかをあらゆる記憶や想念が駆け巡った。走馬灯よりも具体的で重みのあるイマジュアリが僕の心に呼びかけた


「人生は一行のボオドレエルにも若かない」

・・・あぁ、僕は人生をこのように使い果たしてきた。書斎部屋にはボオドレエルが読まれないままに眠っている。今の今まで着られることのなかった黒シャツのように、ただ横たわってカビの臭気をおびながら眠っている。ボオドレエルを読もう。そうして、僕はふるさと甲子園に行くのだ。どうなってもかまわないさ、これが僕の生きる道さ。



僕は「全国ふるさと甲子園」会場で、多くの若い女性たちに対して自らが蜂であることをアピールした。全力で、蜂蜜を売った。東海オンエアを目当てに来たのに突然目の前に現れた蜂に声をかけられた彼女たちはみな「は?」「怖い」「いやぁ」などと、笑顔の奥に潜むなにがしかを発露させながら逃げていった。それでも蜂蜜の売れ行きは好調だった。良いものはたしかに評価されるのだ。


午前中は僕が蜂を着ていたが「なんだか蜂のせいでお客さんが近寄りがたいんじゃないか」ということで、午後からは別の方に蜂ぐるみを着ていただいた。好評だった。午後のほうが、お客さんは多かった。


・・・もちろんそこには、いくつかの複層的で単体では評価しえないファクターがあったのだろう。僕は自分にそう言い聞かせる。からだには、蜂ぐるみを着ていたときのたしかな窮屈さが残り香のように残っていた。お土産部門の表彰のとき僕はポロシャツに着替えてしまっていたけれど、それでも、僕はたしかに蜂ぐるみを着ていた。そう確信できるだけの残響が、みつばちのささやきが、羽音が、僕の全身を包みこんでいた。


あの日東京・秋葉原に、たしかにみつばちが飛んでいた。



これは、ふるさと甲子園の裏側で「いくらかのパフォーマンス」をどうしようかと考えに考えて、けっきょくなんだか自分がやりたかったことをやったというだけのお話である。あぁ、気持ちよかった。またコスプレの話があれば、ぜひやってみたいと思います。


全体として悲しみに満ちた文章となっていますが、ふるさと甲子園自体はとても楽しいものでしたし、見知らぬ方の顔を載せるのははばかられるので残念なのですが、少なくない数のお客さんから「一緒に写真撮って~♡」とお声をかけていただきました。やってよかった、蜂。


・・・こうして僕は、ふるさと甲子園での役割を終えて椎葉村へ帰った。その日の眠りは実に深いもので、僕は夢のなかで蜜蜂となり山の花々のあいだを飛び回っていた。いくつもの花にとまり花粉をみにまとう躍動感は、幼いころに山道をはねながら駆け下りたときの感覚に似ていた。


翌朝、カテリエに出勤すると僕は相変わらず入口うえのつばめ殿の巣を見上げた。「おはよう」と言う。いつもの、判で押したような返事を期待しながら。


けれども、もう返事はなかった。「あなたはけっきょく、誰のことも愛していなかったのよ」という声は、畢竟僕自身が生みだしていたのかもしれない。もう、誰もそんなことを言わなくなっていた。あるいは僕自身が蜂になることで、何か大きな変容が僕の内奥で起こったのかもしれない。僕はもしかすると、誰かを愛することができるようになったのかもしれない。夏空は一層青みを増し、雷鳴すら轟きそうだった。蜜蜂と遠雷。


遠く遠くに響く雷鳴の向こう側には、このうえなく晴れた空が広がっていることだろう。


※一部フィクションです※

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