• 小宮山剛

エンブレイサブル・ユー(Emblaceable You)

仕事終わりにまっすぐ家に帰り、男の一人暮らしとしての男の一人暮らしらしい粗末な食事をとり、洗濯をする。そうして僕は、果たしていつ読んだかもわからなくなってしまった『国境の南、太陽の西』を机におき、鉛筆を削る。こうして読了本のノート・テイキングをゆっくりと手がけてみようと思うのは、久しぶりのことになってしまった。


僕には一度読んだ本を写真に撮りEvernoteで文書化して保存し、更にはその要所をまとめたり「これは」と思う一文を実際に自分の手で紙上にまとめなければ気が済まないという性分がある。ある意味での再読行為ともとれるこの手間の多い慣習は、現在はやっている「多読」という波に真っ向から立ち向かうべく存在する僕の大切なルーティンであり、フィロソフィーだ。僕は万年筆で(今使っている日記帳のページが薄くて裏映りするので、やむなく鉛筆を使っている。やはりノートはモレスキンでないといけない)、作家たちの書いた文章を書きうつしたり、作家たちの主張を箇条書きにしたり図式化したりしながらまとめていく。


そうした遠回りにもみえる道筋が、僕にとってはとても重要なことなのだ。僕はそうすることで初めて、フィッツジェラルドの哀しさを自分のものとして受けとることができ、ケルアックの心もとなさを知り、太宰の陽気さを窺い知るのだ。


何といっても村上春樹の文章を書写することが一番好きだ。彼のリズムに満ちた文章を書きうつすときは、彼がふんだんに引用する音楽(ジャズ、ロック、プログレ、ポップ、なんでもありだ)を自分の部屋でも流しながら手を動かす。『1Q84』を書写するときなんか、なかなか壮大な部屋のなかでかりかりとペンを動かし続けていたものだ。ずっと、ヤナーチェクが流れていたから。


『ノルウェイの森』に関して言えば、僕はまるごと一冊書写するつもりで、当時つきあっていたガール・フレンドからもらった新品のモレスキン(緑色だった)に「僕は三十七歳で、そのときボーイング747のシートに・・・」と書きだしたものだ。結局その写経にも似た僕の鍛練的構想はほんの少しの怠惰でもって損なわれてしまったし、彼女に対するその嘘は、僕が彼女に向けて放った数多くの嘘のうちでももっとも軽いものの一つだった。いまは、彼女が幸福で健康で何一つ不自由のないことを祈っている。心の底から。



書店で本と出会うとき、それは出会うべき出会いであるはずだ。そうして自宅の本棚で再度その本を引っ張り出すことになるときも、それは何らかの示唆的な要素をはらんだ再会であるという場合が多い。すくなくとも僕の場合は。


今日こうして僕が文章を書き始めたのは、冒頭述べた通り、村上春樹の『国境の南、太陽の西』を鉛筆で取りまとめたからだ。もちろん部屋のなかはナット・キング・コールの音でいっぱいになったし(今でも流れている)、灯油ストーヴの火はたえることなく燃えさかり僕を息苦しくさせた。2月半ばの椎葉では昨夜から多めの、しかし地元に昔から住んでいる先輩方からすればそれほどでもない量の雪が続き、車のガラスはきんきんに凍りついている。そうだ、今晩帰宅したときに車のワイパーを立たせてくるのを忘れていたんだっけ。明日は、きっと朝になって困るだろうな。


僕が『国境の南、太陽の西』に出会ったのは神保町の三省堂で、きっとあれは2018年の秋以降だった。なぜ2018年の秋以降かというと、僕の人生にとって決定的な出来事が起こったのが2018年の夏であり、その後でこの本を手に取ったということは明らかに覚えているからだ。僕はそのストーリーや具体的な読了日なんかをすっかり忘れてしまっていたけれど、村上が作品中で主人公に託したメッセージについては、身体に刻み付けてしまったかのように記憶した。まるで一度作業を覚えてしまった工場労働者が一日中同じ動きを繰り返しているのと同じように、僕は『国境の南、太陽の西』のメッセージから逃れでることなく一生を過ごしていくのかもしれない。


僕はこの本から、たとえば次のような文章を引用しノートに書き留めている。引用文には簡単な説明がつけられていて、汚い字ではあるけれどなんとなく文脈は読み取れるよう、誰のためともなく配慮が施されている。


『国境の南、太陽の西』と僕の粗末なノート


「太陽の西とは?」

「(中略)あなたは地面に鋤を放り出し、そのまま何も考えずにずっと西に向けて歩いていくの。太陽の西に向けて。そして憑かれたように何日も何日も飲まず食わずで歩きつづけて、そのまま地面に倒れて死んでしまうの。それがヒステリア・シベリアナ」

「死」

誰もがやがては、この暗黒の根源の中を、共鳴を失った沈黙の中を、どこまでもどこまでも孤独のうちに落ちていくことになるのだ。

「もうひとつの現実」

だから僕らは現実を現実としてつなぎとめておくために、それを相対化するべつのもうひとつの現実を―――隣接する現実を―――必要としている。でもそのべつの隣接する現実もまた、それが現実であることを相対化するための根拠を必要としている。(中略)何かの拍子にその連鎖が途切れてしまう。すると途端に僕は途方に暮れてしまうことになる。中断の向こう側にあるものが本当の現実なのか、それとも中断のこちら側にあるものが本当の現実なのか。


こうした、題名の美しさや「死」、そして「相対的現実」は、僕に言わせればもっと美しい例が村上春樹の他の作品のなかにある。もちろんそれは『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』であり『ねじまき鳥クロニクル』であり『1Q84』であるわけだけれど、僕という読み手はこういうものを、たとえ極上のものでなくても、欠かさずに拾い集めなければ気が済まない性分なのだ。


では僕が今日、ナット・キング・コールを聴きながら一番熱を入れて書きうつした文章はどんなものだろう。もちろんここでお披露目したいし、その文章はいかほどかの興味を皆さんにも与えてくれるだろう。


ただここで一つ、僕の心変わりを赦してほしい(「赦し」こそがもっとも大事な要素であるのだけれど)。僕は『国境の南、太陽の西』のなかで最も身に染みた文章たちをこれから紹介するけれど「なぜ気になったのか」「人生のどのような意味合いにおいてその文章が重要なのか」という、この記事を書き始めたときには最大の目的であったそうした事柄の記述を、文末から省かせていただきたい。


それはこの記事の存在意義自体をなくしてしまうものかもしれないし、果たして深夜に差し掛かろうという時間帯にこうして文章を書くことの意味すらも薄れさせてしまうかもしれない(もちろん、意味をもたない創作などないと心の底では願っている)。ただしかし、カポーティの『草の竪琴』で語られたように、ときにものごとは秘匿のうちに収められたままでいなければならない、あるいはそうされるべきであるものなのだ。こうしてまたもや別の作品を引用して最後の文章を尻切れトンボに終わらせてしまうことは、本当に心苦しいことであると思っている。


ただしかし、これからこの記事に書きうつされる(鉛筆ではなく、タイピングによって)文章を読めば、だいたいの人にはその意味がわかるはずだ。そうしてその意味の推測こそが僕の望んでいる反応であり、意味の曖昧さこそが僕が設えておくべきバッファーなのだと考えている。余地のない人生は苦しく、息苦しい。僕は敢えて当初の目的を放棄することによって、この短い記事を締めくくりたい。


そして再度また『国境の南、太陽の西』と出会う日には、現在は可能性の小さな光にとどまっている遠い星のようなこの幸せが、手元で確かめることのできるたしかな温もりに変化していることを願いたい。そうしてさらに願わくば、明日の朝は車に大量の雪がのっかっていたりしないでもらいたいものだ。


それでは、引用します。



「この場面は見たことがある」

「可哀そうな人」と彼女は言った。まるで壁に書かれた大きな文字を読み上げるような声だった。本当に壁にそう書いてあるのかもしれないなと僕は思った。

「将来のわたし」

他人のために泣くには僕はあまりに身勝手な人間にすぎたし、自分のために泣くにはもう年を取りすぎていた。

「なんと言うべきだったんだろう」

「僕は君と別れたくない。それははっきりとしているんだ。でもその答えが本当に正しい答えなのかどうか、それがわからない。それが僕に選ぶことのできるものであるかどうかさえわからないんだ」

僕はこうしてこの記事を書き終えて、風呂に入り寝ようとする。ナット・キング・コールのアルバムは再生しきってしまい、音楽が途切れている。


部屋の外ではエアコンの室外機が一定の転回音を響かせ続けている。でも僕には、そういう耳障りな音が一切聞こえてこない。僕のビジュアルには、真っ暗闇でかすかに動きながら寝息をたてる顔が見えている。液晶の向こうでうっすらと揺れ動く胸の上下に、僕は生まれたばかりの赤ん坊を夜通し見守っているかのような気持ちにさせられる。室外機の振動は呼吸のリズムにとって代わられ、いのちのリズムと交錯するかのように、それでいて即興音楽がカオスのなかに確かで美しい旋律をもちあわせているように、幾度も幾度も先ほど聴いたばかりのEmblaceable Youが折り合わさる。ビジュアルはいのちのリズム、オーディトリーは「抱きしめられたら」と続いていく。永劫のことばそのもののように。


終わることのない交響が夜に溶けこむ。Tender is the Night


僕もまたその夜の一端となるべく、机のうえで光るLEDのスウィッチを切ろう。夜はまだ、隙間をもちあわせているはずだから。おやすみ、遠い星よ。いつかその光の元へたどり着くことができますように。

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