• 小宮山剛

『シャルトリューズの薄明』

 夜が朝にかわる瞬間の空の色がある。これまで幾度となく一人で、あるいは誰かお互いにその夜を暖めあう相手と二人で、僕はその瞬間を捉えようとしてきた。でもどんなに目を凝らしたところで、僕はその瞬間を捉えることができなかったし、いつだって夜は曖昧としたまま朝へと移りかわっていくのだった。そして僕は自分がいるのは夜なのか朝なのかということを見失い、いったい誰と暖めあうべきなのかということも見失い続けてきた。夜と朝との狭間にこそなにがしかの真価が潜んでいるとにらみ続ける僕の目の前を、今日も、明日も、それはただ黙って行きすぎていくばかりなのだ。

 店の外ではそろそろ夜が終わりをむかえる頃なのかもしれない、とぼんやり考えているとき、その人は扉を開け僕たちの店へ入ってきた。「何かさっぱりとした味わいのビールがあるかしら。その後はまたさっぱりとしたウィスキーを、ソーダで割ってもらいたいの」とそんな種類の言葉が、その人から発せられていた。彼女は僕の背後にある酒棚を眺めながら喋っているので、そしてそれ以上に、口がまったくと言っていいほどに動かないので、その人が僕に向かって問いかけをしているということに気づくまでに随分と時間をかけてしまった。かろうじて「ヒューガルデン・ホワイトのご用意がございます」と答えると、彼女は「ひとつお願い」とまた、全く口を動かさずに発した。かといって不躾な態度というわけではなく、「あなたがそう答えるだろうことはわかっていたのよ、もちろん」という優しい自信が全身からあふれ出ているだけだ。

 その人の瞳は広く、深い。その目を下品に動かしまわることはせずに、多少首をかしげるようにして店内を見まわしている。どうやら今日が初めての来店のようだ。首元がかすかに見えるくらいの女のひとにしては短くカットした髪が、コートの襟にすれて音を立てる。彼女が問いかける声に比べると、その摩擦が生み出す音は爆発的に大きく僕の脳裡に響いた。全感覚を超えて僕の内奥に差しいる彼女の眼差し、そして首元の叫び。僕はビール瓶を握ったままただ、彼女が次に発する言葉を待っていた。そのほかに僕にできることなどあったのだろうか。ビール瓶は僕の掌から熱を奪い、部屋の温度すらもすべて奪い、果てには室内の時という時の全てを奪ってしまいかねなかった。それでも僕は、彼女の次の言葉を待ち続けるよりほか為す術がないのだった。

 彼女が来たその時、時刻はどれくらいだったのだろうか。それが夜だったのか朝だったのか僕は思い出すことができない。あるいは彼女の存在こそがそうした時間の概念の水面に浮かんでいる、うつろでかつ現前とした、薄明そのものなのだろう。

        ※※※

 僕が酒というものに特別な意識をもつようになったのは小学生の頃、故郷であるF市の学校で受けた道徳の授業がきっかけだった。とあるビデオを観ての学習だったのだけれど、そのアニメーション教育映像では「角打ち酒」を飲める者と飲めない者とに分かれていて、その差をつくる原因は身分や出自だということだった。角打ち酒を飲めない者は全身全霊をかけて飲める者を恨み、憎んでいた。小学生の僕はその背景にある社会問題そのものよりも、ここまで人間を突き動かす酒というものに尋常ならざる衝撃を受けていた。それ以来僕は酒に対する賛歌的愛情を、無条件にもち続けることになる。

 実際に酒を楽しむようになったのは大学へ進学したころ、ごく少ない仲間うち(すぐにも付き合いをやめることになるけれど)で集まって、年齢を隠しながらチェーン店の居酒屋なんかで安酒を飲むようになってのことだった。成人であると偽って酒を飲む秘匿の悦びを覚えながら、角打ち酒を飲むことができなかった者たちの思いを代わりに成し遂げているような気持になる。最初に大枠の酒の種類が判別できるようになると、その後成人になったのを機として、とくにウィスキーに打ち込むようになった。とくにアイラ・ウィスキーについてはボトラーズの飲み比べなんかを貧乏学生なりに教えてもらって、連日舌を鍛え胃を弱らせたものだ。もともと胃腸の弱い僕はハード・ドリンクを飲んだ翌日は必ずと言っていいほど(つまりほぼ毎日)絶え間ない腹痛に襲われるのだけれど、それでも何かしらのウィスキーと共にない夜を過ごすのは週に一日、多くて二日だった。

 そういう生活をしていたわりに大学の授業にはよく出席し、成績もおおむね良判定だった。これは一種、生活がだらしないと学問を疎かにするのだという後ろ指を刺されないための意地であったし、さらには僕自身大学の授業というものを、心の大きな部分をかけて、愛していたということでもあった。大学一年生の頃に広くさまざまな科目の履修を求められるのだけれど、その時なんかは哲学・音楽・数学・物理学と、近世の裕福な貴族気取りで四方八方の領域に顔を突っ込んで、その度に「これぞ我が道」という熱情を抱えることになった。そして青春期の通例から漏れることなく、その熱情の大半が永遠の凍結状態を余儀なくされた。二度と目覚めることはない、哀しい熱情。

 基本的には飽きやすいと評することができる性格と言えるだろう。学生時代から今にいたるまでの間に幾人もの女の子とつきあってきたけれど、そのどれもがまともに上手くいかずに今日を迎えている。おおむね最後は連絡を取り合わなくなるか、僕のほうが別の子に熱を入れてしまうかして、あるいはやむを得ない事情で他の女の子と関係をもつことになって、一つまた一つと別れを刻むことになる。誰にも深い思い入れをしていないからか浮気が露見して修羅場をむかえたことはない。だからこそ一人の女の子に執着せず、たまに夜の街で出会いを求め歩きまわることも多かった。

 そんなときに訪れる場として、僕は程度よくオーセンティックなバーをいくつか知っておくようにしていた。「いくつか知っておく」というのが肝心で、もしとある店で一人の女の子と出会い、それがとても哀しい結末をむかえることになったとしても、僕はまた別のバーにいけば良いのだ。バーとはそういうものだという若い見解を、僕は大学の四年間をかけて築いてしまっていた。

 店に入ると、マスターと気の良い挨拶(常連らしく片手をあげる。でもあまりこなれていない風に。なんと言っても僕はまだ大学生)だったのだ)を交わしながら周囲を一見する。あまりに混みあっている場合は一杯だけで店を移り、また次の店で同じ一場面を築く。そうこうしているうちに一人の(ときにはそれ以上でもかまわないけれど)女の子がマスターと僕との会話に介入してくる。その介入を快く引き入れ、目線を合わせる。それだけで相手との合意が果たされたとは言わないけれど、もうその時点で必要条件を満たしているといっていい。野球でいうならばワンアウト二・三塁の機会を得た攻撃側といったところ。どのような形に転ぶとすれ最小得点はもういただいたようなものだ。

 そうしてマスターを介して話を切り出してくる女の人には、ずっと年上のひとも多かった。「マスター」という場を切り盛りする存在をよく理解していて、どうすれば「目の前の獲物」を手っ取りばやく捕まえられるかという手練に長けていた。もちろん僕にとっては彼女たちもまた「獲物」であったのだが、当時のまだうら若い僕のことを彼女たちはきっと、思いのままになる動物でも見つけたように思っていたのかもしれない。もちろん僕としては彼女たちの思いのままになることもできたし、反対の立場をとって関係性を支配することもできた。そんなふうに、僕は何人かのマスターたちによって毎晩毎晩、その場の貢物のように彼女たちの前へ差し出された。僕としてはただ伏し目がちに、粛々とその儀式を遂行するだけだった。それが一番の楽しみかたというものだった。

       ※※※

 僕が自分の店をもつようになったのは、いくつもの僥倖が重なったというよりほかない。大学を出る直前まで人生航路の舳先を決められずにいた僕は、いよいよ周囲の知り合い(とても数が少ないけれど)全員と疎遠にならざるを得なかった。世間的には「不景気」があいさつ言葉のように唱えられていたし、就職をしてサラリーマンにならないための言い訳には事欠かない時代だった。全国的にはたくさんの大学生がそうした言い訳をひっさげて親元へ戻ったり、世界一周の旅に出るといって二度と帰らなかったりした。僕が大学を卒業しようとしていたのはそういう時代で、その年の三月十一日には東日本大震災が起こった。全国の大学生たちの明るく自虐的な言い訳は決して笑えないジョークとして半永久的に葬り去られ、本格的永久凍土のような停滞が日本を襲うことになる。

 「全国の」と言ったのは、僕がまがりなりにも所属し卒業した大学にかぎって言えば、そのようなこともなさそうだったからだ。「就活」というイベントに嬉々として取り組むかつての仲間たちは皆、先輩を頼り同輩を頼り、いままでは決して見向くこともなかった人脈をたどって「我が同士」然として、既に社会に出た大学OBと会っていた。そしてもちろん、大学OBたちも同様に「我が同士」というひたむきな熱意をもって、学生たちの熱意ある訪問を迎え入れていた。僕も何度か出版社に勤める大学OBの連絡先をたどってみて、約束をとりつけたまでは快く対応してもらったのだけれど、いざ待ち合わせ場所の目の前に来るとどんなことがらについてどんな顔をして話をすればいいのかがわからず、結局そのまま神保町の古本屋街をうろついて帰った。その日に僕は『ロレンス短編集』の革表紙版を手に入れ、とても心地よく帰途についたことを覚えている。家に着いて我をとりもどした僕はおそるおそる携帯電話をみたけれど、着信履歴は一件もなかった。

 そうした毎日のなかで僕にとっての救いは、もはや酒の場しかなかった。女のいるといないのとにかかわらず、僕は日々の居場所を求めてあらゆる酒場をさまよった。同年代の学生たちが就職活動を終え明るい未来を祝いながら飲む渋谷の、比較的カジュアルなバーで一軒。まだ夜も早いと恵比寿や中目黒のほうまで歩いていき、カウンター席が心地よい居酒屋で酒の種類を重ねる。だいたいが海外の瓶ビール(ヒューガルデン・ホワイト、あるいはブルー・ムーンなどの酸味が強いビールをよく好んだ)ではじまる僕の酒旅は、二軒目ともなれば三種、四種と歩を進めていることが多い。ウィスキー以外の種類についてはお店のすすめに任せることが多いけれど、ウィスキーについてはスコッチ一辺倒といった節があった。二軒目の酒場でハード・ドリンクに身体を慣れさせたら、最終地点を求めてわざわざ電車に乗ることもしばしばあった。背水の陣をとるかのような気持ちで終電に乗り、多くの場合は新宿へたどり着くか、あるいはまた渋谷に戻ってくるのだ。そこでその夜の一瞬間(泥酔した夜というのはまさに「刹那」というよりほかない)を共にする女と出会うか、あるいはゴールデン街で、決して永遠に思い出すことのない話を延々と続けながら朝を待った。

 僕は朝の光を受けて心地よく目覚めることよりも、覚醒の一夜を過ごしながら、今か今かと朝を待ちかまえることを好んだ。渋谷にあるビアバーで、割れるグラスの音と、ネッキングを繰り返す外国籍の男女の姿に五感を研ぎ澄ましながら朝を待っていたことがある。朝が来る瞬間に僕は、そこにあった雑然とした不道徳がすべて取りはらわれ、損なわれたものたちが再び頭をもち上げながら漏らす息吹を感じた。光でも闇でもないなにものかが、その刹那のなかに美しく保たれていた。そのとき泥酔のただ中にあった僕はその啓示的な光景をよく呑み込むことができないままに、ただ澱のように床へ崩れ落ちてしまった。

 酒旅を繰り返しているうちにもちろん、おのおのの店の主人と交わすあいさつも親しげなものとなっていた。僕はどのお店でもある程度の礼儀正しさと、ある程度の放埓の雰囲気とを、適度に見計らった塩梅で使い分けていた。親しみがわくけれど決して危険でもない、そしてどこかに匂わせる冒険の予感……どこで手に入れたのか、そんな立ち居振る舞いというものを僕は実践していた。したがってどこの店の主人も僕の人生に寄り添ってくれたし、僕からも隠し立てのないあれこれを吐露することができた。あくまでスマートに、あくまで客観的に自分の窮状(周りの同級生は皆大手企業に就職するなか、朝三時三十分になお飲み歩く大学四年生に「窮状」という言葉を当てはめるのは、間違っていないはずだ)を話す僕をみた主人たちは皆、それを笑いの種にかえてくれたり、ときには気の毒そうな顔をして「前途茫洋、それもまた悪くないよ」とかいうふうに、彼にとっては一級品の勇気づけをくれたりした。もちろん僕はそれらを好意として受け取り「まあ、今日のところはとりあえず飲みましょうよ」と、一杯の返礼を差し出すのだった。ここまで言い忘れていたけれど、もちろん、僕が当時使っていたすべての金銭は両親からの仕送りによるものだ。

 そんな僕がついに人生の途というべきものを見出すことになったのは、やはりバーであった。二〇一一年の二月に僕が訪れたバーは「Santiago」という看板を掲げていた。渋谷からひとつ離れた駅の近くにあるその佇まいは「あなたのことは多分歓迎しませんが、もし来たければどうぞ」という風合いをと醸し出していて、僕がその日大盛りのラーメンを食べたばかりでとにかく座りたい一心でなかったら、決して入店することはなかったと思う。とはいえ、重みのあるニス塗りがつややかな引き戸を開けるとそこには、店の入り口とは反対に人のよさそうなマスターが、心地よさそうにグラスを磨いている。

「初めてなんですけれど、いいですか」重いドアを支えながら尋ねる。

「いいも悪いも、店は開いてるんだし。早く座りなよ。一杯目はビールがいい?若そうだね、きみ。何歳?そうそう、ビールといっても瓶ビールしか置いてないんだけどさ、このスペインのビールなんか飲んだことあると思うし、もし飲んだことがなくてもいけると思うよ」

「スペインのビールですか。飲んだことがないけど、是非ひとつ」

「そうスペイン。言ってるそばからもう開けちゃったよ。さあ、この一本から始めよう。スペインの一番人気セルベッサ、マオウだよ」

こんなやり取りで始まったマスターと僕との会話だった。決して押しつけがましくないのに陽気な彼のスタイルに僕は取り込まれてしまった。

「名前は?」と聞く彼に「葉山です」と答える。

「葉山くんだなんてお坊ちゃまっぽいね。見た目からはぜんぜん想像できない。で、ファーストネームは?ファーストネームを知りたいんだな」

 浴びせ続けられる質問に多少たじろぎながらも、僕は「コウヘイです」と答えた。

「葉山コウヘイくんね。『コウヘイ』というほうが君らしいよ。是非そう呼ばせてくれないかな。僕は上田だ。なんだか初対面とは思えないな。よろしく、よろしく」

 いったいどこが初対面とは思えない要素をもっていたのか、またなぜ彼は肝心のファーストネームを名乗らないのかと、上田さんは一つの発言で二つの疑問を生んでいた。ともかく僕は彼のことをずっと「上田さん」と呼び、彼は僕のことを「コウヘイくん」あるいは「コウ」と呼んでくれた。「ずっと」という割にこれらの名前のやりとりは短い期間をもって終わりをむかえてしまうのだけれど、すくなくとも「Santiago」に上田さんがいる間、僕たちはそう呼びあっていた。

 初日に僕が上田さんについて、そしてバー「Santiago」について知ったことは、あまり多くはなかった。あまり多くはなかったけれど、それらの話には「きっと続きがあるんだ」という、長く長くとてつもなく面白い小説の出だしのような期待感をもたせてくれた。上田さんは三十六歳だった。大手アルコールメーカーに勤めていくつかの有名ブランドワイン(もちろん、有名にしたのは彼だ)の輸入を手掛けていたこと。そんななかでワインへの造詣を深めたこと。ワインのマーケティングで訪れたスペインのバルセロナで、サンチアゴ・デ・コンポステッラへの巡礼の道を知ったこと。その翌年には(上田さんは三十三歳だった)十年勤めた会社を辞め、貯金をはたいて巡礼の旅にでたこと。旅に出る前、そのときのガール・フレンドは号泣しながら上田さんを手ひどく殴ったこと。もちろんそのサンチアゴ・デ・コンポステッラが、店名の「Santiago」の由来であること。などなど、これくらいの話を上田さんは一気呵成にならべたてた。しかし拙速にすぎることはなくて、もっとその話の奥を覗きたくなるような話し方をするのだった。たとえば、当時上田さんが付き合っていたガール・フレンドはセックスが上手かったのか、背中にホクロはあったのか、耳は大きかったのか小さかったのか……上田さんの話し方には、細部を語らずして細部を匂わせる、あるいは想像させてしまうような魅力があった。僕は彼が大学を卒業して一流のアルコールメーカーに入り、すぐさま周囲の人間を魅了する姿、これからちょっと出かけてくるというくらいの平気な顔で成田空港に立つ姿、そしてサンチアゴ・デ・コンポステッラへの巡礼を終え、聖ヤコブの前で跪く姿を子細に描こうとした。そうせざるを得なかかったのだ。

「全然カトリックの教義は知らないし、プロテスタントとの明確な違いもわからない。ついでに言えば、歩くのも好きじゃない。だからなぜ僕が会社をすぐに辞めてまであの場所に行きたかったのか、本当はよくわからない。その後なぜ日本に戻ってきたのかもわからない。何かを目指したかったのかもしれないし、何かから逃れたかったのかもしれない。でもそんなものの正体なんて知らなくたっていいと、信じるほかないんじゃないかな」

 上田さんはそんなセリフですらも、屈託なく笑いながら言った。整ってはいないけれど小さく、どこか現代風の顔で笑う彼を見て僕は、きっとガール・フレンドは美人に違いないと想像した。この人が笑う姿のまわりには、きっとその姿自体に惚れた幸福な女たちが多くいたことだろう。上田さんは、過去をためらいなく、美しく語ることのできる人だった。きっと彼の場合監獄に入れられても、大事故に見舞われても、たとえ人徳を疑われるような行為をしてしまったとしても、その過去を罪なく流麗に語ることができるのだろう。それが良いことであれ悪いことであれ、僕は上田さんの話を聞くことができることに特別な感慨を抱いていた。

 話が佳境に入った頃から上田さんは、チェ・ゲバラの顔がプリントされた赤い箱の煙草を吸っていた。そして僕に「ごめん忘れてた」と言いながら、灰皿を出してくれた。「吸わないんです」と僕が言うと「それは良くないな。素敵な煙草は、素敵なストーリーに欠かせないんだから」と、僕に一本勧めてくれる。チェ・ゲバラの顔がこちらを向いて誘いかけてくる。僕は「まいったな」と心地よく苦笑しながら一本受け取った。上田さんが笑顔で勧めてくれるものなら、僕はなんだって受け容れてしまうのかもしれない。そうすることによって、僕もまた上田さんのようにどんな過去だって美しく描きあげられるような気がしたのだった。

 それ以来僕は何度も「Santiago」に通い、本当に上田さんからいろいろなものを教わった。もともとウィスキーばかりにいそしんでいた僕にとって、上田さんから教わったワインの知識は新鮮だった。他にお客がいないときは、幸運なことに(なぜだか、店主である上田さんもそう思っているような気がしていた)僕は上田さんから個人レッスンを受けることができた。ワインに関して言えば、ただただワインそのものを楽しむ方法だけでなく、ワインを使ったカクテルもいくつか教えてくれた。キールなどのありふれたものも、上田さんによってつくられるとどこか特別な一品に思われた。なかでも僕が一番気に入ったのは、スペインならではの飲み方だという、赤ワインをコーラで割る「カリモーチョ」だった。

 僕はボディの効いたワインに真正面から取り組むよりも、上田さんから教えてもらったカリモーチョを好んだ。一杯目にマオウ、二杯目はカリモーチョ、そして三杯目からウィスキーにとりかかるというのが僕の常套となった。僕はカリモーチョをつくってもらう度に、いつか上田さんとスペイン(おそらくは日差しに恵まれた日のバスク地方)を共に訪れ、一緒にカリモーチョを楽しめたらどんなに素敵だろうと思った。ただ不思議なことに、上田さん自身はカウンターの中であまり酒を飲まなかった。酒を飲まない上田さんと、酒を飲む僕。そうした平和な構図を僕はとても気に入っていたし、上田さんもとても満足しているように見えた。

        ※※※

 僕が「Santiago」に通うようになって、一か月が過ぎた。三月の初旬となり、僕は大学を卒業することを決めていた。同級生では就職活動を来年も継続するための浪人、いわゆる「就活浪人」を選択する者も何人かいたけれど、僕にとって就職はそこまで魅力的なものに思えなかった。「魅力的なものに思えなかった」というのは、本来の状況とはかなり乖離があると認めざるをえない。僕は正直なところ、一人社会に出てやっていけるだけの心の準備など一切することができなかった。まったくのところ、世間では過労死や残業過多が地獄の沙汰のように取りあげられていて、どうしても僕はそれらのことを「自分に関係すること」として受け容れることができないのだった。どうしてもそんな世界に足を踏み入れるようなことは考えられなかったし、かといってほかにどう生き方を見出せばいいのかもわからなかった。

 当時はすべてが他人事に思えて、生き方がわからないからといってそれはそれで仕方がないと見放して考えてしまうような有様だった。別になにか新しいことを始めるわけでもなく、ただただ毎日にように酒の場に出ていた。暇があれば本を読み、小説のなかで今も生きている数々の大酒飲みたちのことを親しげに感じては、どこか安堵したものだった。そうしているうちに、三月十一日が訪れた。

 アパートのなかにいた僕は、段ボールのなかに隙間だらけで入れられた荷物が激しく揺さぶられたかのように、容赦なく壁や床にたたきつけられた。当然震源地は東京だろうと思い、天井の接続部から振り落とされてしまった照明器具の破片を片づける間もなくテレビをつけた。リモコンの電源ボタンを押すと同時に新たな揺れがきて、僕は面食らってしまう。さらにテレビをはじめその他の家電もすべて通電していないことがわかり、ふと、生きているだけでもありがたいような状態なのではないかと思い至った。大地は揺れ、僕はテレビをつけようとする。その一連の行為のはかなさが、突如として痛切な刹那刹那として、僕の胸をうった。僕は自分がおかれた窮状を確認しようと、慌てて玄関から外に飛び出した。倒壊したビルや燃え上がる住宅街を想像したけれど、街並みはいつもどおりだった。車は平然と道を走り、興奮した主婦たちが道端で騒いでいた。

 しばらくは茫然とするほかなかったけれど、ふと携帯電話のワンセグでテレビ放送を見られると気がつく。電波を受けた画面には、大きな揺れで慌てふためくテレビ局の様子が映し出されていた。まだ取材は現地の状況に追いついていないようだった。それと同時に、震源地が東北であるということをアナウンサーが繰り返している。携帯電話から発せられる地名は、ほとんどどれも聞いたことがないものだった。それを受けて僕は「なんだ」と漏らしていた。

 今から振り返るととんでもない台詞だと思うけれど、当時の僕は間違いなく、自身のアパートの一室でアナウンサーが必死に「津波の恐れがあります」と訴えかける声を聞きながら「なんだ」と漏らしていた。僕は当時、自分の人生すら自分のこととして受け容れることができなかった。それがましてや、遠い土地の遠い声のことなんて、想像することすらできなかった。もはや言い訳がましいような言い方になってしまうけれど、僕は当時あらゆるものごとに対して不感だったと言わなければならない。僕は「なんだ」と言った後もただぼんやりと携帯電話を眺め、実際にはそこで何人もの人たちが亡くなっている情景のその意味を理解しようと努めていた。しかし一向に僕のなかで芽生えるものはなく、最後には携帯電話の電池が切れてしまった。停電で充電することもできないし、夕暮れとともに部屋のなかは真っ暗になろうとしていたので、僕は上田さんのところへ行くことにした。

 東京じゅうの電車が片っ端から止まってしまっていると散々報道していたので、かなりの距離だったけれど、僕は自転車で上田さんの店まで行くことにした。間違いなく一時間以上かかるであろうことはわかっていたけれど、それでも、その日に「Santiago」へ行くことは避けがたい義務のように思われて、僕は自転車を走らせた。「帰宅難民」となった多くの人々が、普段は不満を充満させた顔で渋々乗り込んでいた電車が動かないせいで、その顔をなおのこと渋くしながら歩いていた。今や日本の麻痺状態は極限に達していたけれど、その時の僕に考えられたのは、ただいち早く上田さんに会いに行くことだった。彼ならばこんなときにも店を開けているのではないかと思えたし、なんの気にも留めない顔でカウンターの向こう側に立つ上田さんを想像するだけで嬉しくなるのだった。

 途中のどこもかしこも人ごみで苦労したけれど、三月の容赦ない冷え込みが厳しい夜とともに、僕はなんとか「Santiago」に飛び込んだ。やはり店は通常どおり営業していて、そこにはいつもどおりの上田さんがいた。僕に「いらっしゃい」と声をかける姿を見て、彼にはきっと、僕が今日ここに来ることがわかっていたのだろうと思った。それもいつ、どのようなかたちで訪問するかも。

「コウ、よく来れたね。電車動いていないよね?」と聞く上田さんは、決して「じゃあどうやって来たのか」ということは尋ねない。彼にとって、そしてもちろん僕にとって、そんなことは重要ではないという確かな合意が共有されていたのだから。僕はただ、黙って頷くだけだった。

「マオウ・ネグラをいただこうかな」と僕は言う。いつも通りだ。

 上田さんも「いくら寒くても、コウヘイくんは最初にビールなわけね」といつもの調子でビールを出してくれる。そして自分の分も今日はすこしだけ、何かバーボン・ウィスキーをグラスに注いでいる。たまにカウンターの中で酒を飲むときの上田さんの嬉しそうな顔、いつもどおりの変わりない手つき。そこまでを見て僕はふと、胃の中に冷たいものが忍びこむのを感じた。もちろんビールの冷たさは三月の寒空を自転車をこいでやって来た(歩行者が多くてほとんど歩いていたけれど)僕の内臓に軽くこたえていた。でも、それだけではない氷のような暗いひらめきが僕に刺さっていた。あまりにもいつもどおりすぎるのだ。日本中が震撼している今日この日に、上田さんは「電車が止まった」ということを抜きにして一切そのことにふれず、客にビール瓶を出し、自分のバーボンを注いでいる。いくら上田さんとはいえ、それは正常であるとは言い難い出来事に思われた。そのとき僕は果たして、かえって尋常ではない上田さんの内面を感じ、それを痛切な冷たさとして感じとっていたのだ。僕は上田さんの尋常ならざる雰囲気を肌だけでなく、それを飲みこみ、まさに嚥下しようとしていた。しかしそのことについてふれることはせずに(確証もない不安について、人はどうやって切り出すことができるというのだろう)、ただビールを一本飲み、すすめられたワインのグラスを空け、そしてラガヴーリンをオン・ザ・ロックでもらい、左手の人差し指を使って氷を液体になじませた。琥珀の液体に溶け込む透明の水分が、何光年も続いていくようなタンブラーの深淵に向かって渦まいてゆく。

 「コウヘイくん」と上田さんが呼びかける。彼も僕にすすめた赤ワインを手にしている。ちょうどボトルが空きそうだったので、残りを自分で飲んでいた。僕はこの瞬間にずいぶんと緊張した。思えばこの店に来て緊張なんてしたことはなかったのかもしれない。そもそも僕は今までの人生のなかで、緊張などというものを味わったことがあるだろうか。しまりなくただ空漠に浸っていた人生の中で、僕はそのとき初めて緊張したのだった。

 「マラガに行くんだよ、俺」と上田さん。何を言っているのか、何ひとつとして把握できなかった。「マラガ……って、いったい何ですか?」

 上田さんは「そこがカギだよ」というような素振りをしながら、マラガへ向かうことを決めたいきさつを話してくれた。サンチアゴ・デ・コンポステッラ巡礼の道すがら出会ったスペインの友人がマラガでホテル経営の職につくことになったという知らせを受け取って、お祝いのメッセージを送ったところから話はひろがり「面白そうだから」自分もマラガに向かうことになったのだという。話を聞いていくと、どうやらそのスペイン人の友人「フリオ」とはSNSで繋がっているようで、憂慮すべきな問題は何もないように聞こえた。上田さんの話からはフリオがどんな人物なのか、いったいどんなホテルなのかといった情報は掴めなかったし、まず僕は上田さんがそうしたSNSの類を当たり前のように使いこなしていることに多少驚いていた。僕はSNSを使用していなかったから、そういった場(場、というのだろうか?)での上田さんの振る舞いをうかがい知ることはできなかった。

 かろうじて、マラガはイベリコ半島南端に位置していてアフリカ大陸にほど近いこと、渡航はそう遠くない予定であること、向こうでどんな生活をするかはまだよく定まっていないこと、などがわかった。定職がない状態でどうやって生活するのかとか、ビザはどうするのかといったいくつかの簡単な疑問が浮かんだけれど、それは上田さんが解決するべき問題であって、僕がふれるべきことではない。とにかく彼はその旅立ちを楽しみにしているようだし、そんな上田さんの姿をみていて僕はとても嬉しかった。だからしばらく(それがどれくらいの間なのか想像できなかったけれど)「Santiago」に来られなくなることも、仕方がないと思えた。とはいえ一応「どれくらい店を空けるんですか」と尋ねてみると、上田さんはその日一番の嬉しそうな顔を僕に向けた。

「コウヘイくん、そこらへんどう思う?」

「どう思うって、わからないから聞いてるんですけど」

「店はあけない」

「だから、どれくらいのあいだ閉めるんですか」

「閉めないってば。僕は是非君が、この店を仕切っていてくれないかと思っている。コウ、もうすぐ卒業だろう。でも就職するでもない、実家に帰るわけでもないんだろう?そしたら時間もあるだろうし、ここを守っていてほしい」

「守っていてほしい?」

「君の将来の状況になにか変化は?」

「何もないですけれど……」上田さんはすぐに「じゃあ決まり。一杯おごるよ」と言って、僕に誓いのシャルトリューズを飲ませてくれた。普段は勧められたことのない香草系のリキュールで、フランス原産の緑色の液体。僕は普段からイェーガー・マイスターとかそういう香りの強いリキュールをあまり好まないのだけれど、このときばかりは勧められたシャルトリューズをこころよく受け容れた。脳の内側まで響く強い香りと、辛辣な酔いがたまらなく心地よかった。何より上田さんは僕に「守っていてほしい」と言ってくれた。それは僕にとって「店番をしていてほしい」という字義だけには決して内包しきれない価値を含んだ言葉だった。僕は「Santiago」のカウンターに一人で立つ自分を想像しながら、シャルトリューズを飲み干した。そのときちょうど別の客が店の扉を開けて入ってくる。その人を僕の最初の客として迎え入れるよう上田さんがうながしてくれて、僕は服も着替えないままにカウンターの中に立たされた。そのときの僕は、とても酔っぱらっていたのかもしれない。

「何かさっぱりとした味わいのビールがあるかしら。その後はまたさっぱりとしたウィスキーを、ソーダで割ってもらいたいの」

       ※※※

 三月の半ばから僕は上田さんの指導を受けて、バーテンダーとして一応のかたちをとることができるようになった。ロング・カクテルとショート・カクテルの違い、テキーラをゆっくりと飲むためにはどのようなセレクトをすればよいか、そして香草系リキュールの楽しみ方。僕がただ漫然と酒にふれているだけでは決して学ぶ意欲をもち得なかったことがらをすべて、上田さんが教えてくれた。上田さんが教えようとしたことは全て僕の意識と同期しているかのように、僕はすいすいと慣れた手つきを身につけていった。

 実家の父はかつてバーテンダーをやっていたと、まだ高校生だった頃の僕に言った。父は「コンテスト」で「金賞」をとったと言っていたが、それがどんなコンテストで、そのコンテストの金賞にどれほどの価値と名誉があるのか、僕は聞こうとしなかった。そう昔を顧みる父親の横顔はいかにも事もなげだったし、テレビで島田紳助が喋るのをながめながら、ときどき乾いた笑い声をたてながら述懐していたから、きっと身内での実演会のような、ごくささやかなバーテンダーの集いだったのだと思う。それはその年頃の息子と父親とが交わす、ほんの取るに足らない一場面にすぎなかった。

 もう一つ父のバーテン話をすれば、僕が二十歳になったとき、父が「お前に祝い酒をふるまう」と言って、実家の棚奥深くにしまってあったカクテル・ツールを持ち出してきたことがある。当時父はもう六十をこしていたが、とかく酒を飲むときは活力に満ちていた。そんな勢いで彼は、自らが「コンテスト」で「金賞」を受賞したというカクテル、ミリオン・ダラーをつくると主張した。当時の僕はカクテルの作り方などひとつも知らなかったから、ただぼんやりとその様子を、テレビに映る巨人対ヤクルト戦に目をやりながら眺めていた。僕の実家ではほんとうに、常にテレビがオンになっていた。カクテルの勉強をした今だからわかるのだけれど、そのとき父は「なんかで代わりにせんとなぁ」とつぶやきながら、ドライ・ジンの代わりにスコッチ・ウィスキーを使い、パイナップルジュースの代わりにグレープフルーツジュースを使い、そして言うまでもないがベルモットもグレナディンも家にはなかった。いわゆるミリオン・ダラーたる要素はただ一つ、卵の白身のみだった。さらにはその卵白を父は、卵黄と分別する途中で流しのなかに全部落としてしまった。

 父は「あかんわ、卵どっかいってしもうた」と下を向いてつぶやき、それでも決して動ずることなく卵白以外の材料をシェークし(再度卵を割ることはしなかった)、できあがったそれを僕にふるまってくれた。ステムのついたカクテルグラスではなくタンブラーに注がれたその酒をなんと呼ぶのかわからなかったけれど、父のシェーキングは当時の僕の目からすれば異世界のもののように映ったし、たとえばそれを僕にとってだけのミリオン・ダラーと呼んでもそう差支えのあることではないだろう。思えばこの日「飲む」側から「ふるまう」側に変わったことで、父は急に老け込んだようだ。それ以降の父の老け込みようを思う度に、僕はシンクの中央に吸い込まれていく卵白を思い返す。人の霊魂もおそらくはこんなふうに、機械じみた仕掛けでできた集合場所の奥底へと引きずり込まれていくのだろう。

 僕は人生ではじめて「働く」という経験を積みながら、なんとかバーテンダーとしてふるまうことができるようになっていった。僕は客観的にみても懸命に仕事を覚えようと努めていたし、自分でいうのもおこがましいけれど、飲み込みが早かったんじゃないかと思う。店にはほんとうに少ないけれど常連さんがいて、その誰もが上田さんのことをとてもよく好いており、その上田さんが弟子をとったというようなことで、僕もその恩恵にあずかることができた。僕が多少のミスをしたところでそれを笑ってくれたし、皆もそれをどこか楽しんでいるというか、父性愛的温情のもと僕を見守ってくれていたように思う。もちろん上田さんがいなくなると同時に店に来なくなってしまった常連さんは幾人かいたけれど、それはそれとして仕方のないことだ。なにせ「Santiago」は上田さんがつくり、上田さんが育てあげてきた場所なのだ。その主人が、いつか戻ってくるという可能性があるとはいえ旅立ってしまうのならば、「Santiago」そのものが変わってしまうと考える人がいてもそれはそれである種の筋がとおった話なのだ。

 僕は新しい「Santiago」を築くつもりはなかったし、きっとそんなことは願うことができなかっただろう。僕はただただお客の相手をつとめるだけで、その他にできることは何もなかった。月曜日は店休日にしていたから、その他の曜日は毎日店に通い、お客が誰もいなくても明け方五時まで店をひらき、始発に近い電車に乗り込む毎日をおくった。収入はとても少なかったけれど、上田さんから預かったお店を守り抜くという特別な使命感をもっていたので、食事を抜いたり、暖房を使うことをやめたりして、とにかく生活の規模を縮小させることで窮状をしのいでいた。ある日スーパーで買ってきたインスタントラーメンの封をあけて、お湯を沸かそうとするとガスが止まっていた。そのときは思わず苦笑してしまったけれど、それはどこか楽しげで賑やかなできごとに思えた。僕はバーテンダーとして生きながら、ガス代を払えないままに過ごしているのだ。

 上田さんは僕がある程度バーテンダーとして機能するようになったのを見極めると(ほんとうによく僕のことを理解する人だった)ほとんど唐突にスペインへ行ってしまった。もちろんそうなることはわかっていたのだけれど、あまりにもあっさりと行ってしまった。彼は「Santiago」のカウンターの中から、何人かの常連さんがいる日に「明日行くよ、マラガ」と言いはじめた。お客のなかには事情を知らなかった人もいたので、とても残念で哀しいと漏らしていた。けれどもみんなすぐに上田さんの旅立ちを祝福して、幸先がいいようにと何杯も何杯もお酒をごちそうしてくれた。新しい「Santiago」のマスターになるということで、皆は僕にもあたたかい声をかけてくれた。その場で他の常連さんに電話をかける人もいて、その日の店内は満席になっていた。誰しもが上田さんの前途を祝し、なんの不安もない夜が心地よかった。僕はだいぶ酔っぱらってしまったようで、皆が帰ってしまった後家路につくときにはもう前後不覚の状態だった。そんなに酔っぱらってしまったことは人生で初めてだったと思うけれど、おかげで上田さんに最後、何と言って別れたのかまったく覚えていない。たしか店のドアを閉めて、その前で二言三言交わしたような気がする。たぶん彼は僕に教訓のようなことを言い残すことはなかっただろう。「明日は瓶ビールを多く仕入れないと」とかそういう、普段と変わらない言葉を交わしたはずだ。それが上田さんらしさであり、誰しもが彼のそういうところを愛していた。見送りのために空港へ行くことはしなかった。前夜の影響で僕は泥濘のように眠っていたし、きっと僕が見送りのようなことをするのを上田さんは望まなかったと思う。そこには素敵なガール・フレンドが来ていて、また上田さんのことを手ひどく殴るかもしれない。僕はただ自宅で目を覚まし、スペインへ旅立つ上田さんがいかにも飄々と飛行機のリクライニングシートを傾ける姿を思い浮かべ、その日が月曜日であることに感謝した。

 上田さんがいなくなっても、さっき言ったように一部の人こそ「Santiago」を去ってしまったけれど、おおかたの人たちは変わらず店を好きでいてくれているようだった。皆さんの好みにあわせて新しい種類の酒を仕入れたりすることもあったし、その日の気まぐれでつくった料理をその日の気まぐれでつけた価格で食べてもらったりもした。もちろん上田さんに教えてもらったおかげなのだけれど、僕の作る料理は概ね好評を得ていた。上田さんは店内の音楽の多くをフラメンコギターの曲にしていた。僕ももちろんその多くを好んでいたから、そのまま流すことが多かった。ただしたまに、僕の好みやお客の好みを映してジャズを流すことがあり、チェット・ベイカーのMy Funny Valentineなんかが流れるとまるで別の店みたいだということになって、慌てて別の曲に切り替えたりすることがあった。

 とはいえ基本的には以前のままの「Santiago」をそのまま維持するように心がけていたし、そうすることでこそ上田さんの言った「守っていてほしい」という言葉に応えられているような気がした。それは何よりも僕にとっての喜びであったから、僕はいかに上田さんらしくあろうかということを考えながら、とにかく毎日を過ごしていった。

       ※※※

 それでもやはり、上田さんがいた頃よりも客足は衰えてしまったように思う。とりあえず家賃が払えるくらいの収入は得ていたし、酒や食材の仕入れについては、上田さんが確保しておいてくれた資金に頼ることもできた。もちろん極力その資金には手をつけず、これまた上田さんが残してくれた仕入れ先の酒屋さんなどとの関係性には全面的に依拠しながら、何とか生計を立てることができていた。僕はなんとか自分の「Santiago」が成り立っているんだと自分に言い聞かせ、お客からも励ましの言葉をもらいながらカウンターに立っていた。

 ときどき(「ときどき」と思いたいだけかもしれない)お客が誰もいない時間があったりすると、僕はつい一人で店内の酒を飲んでしまったりした。瓶ビールをほいほいと飲むようなことはしないけれど、既に空いているウィスキーなんかをちびりちびりと飲むことが多かった。一日にほとんど誰も来ないような日なんかは、ウィスキーを飲みすぎる日もあった。だいたいそんなときはカティ・サークを水道水で割って飲んでいるのだけれど、とある日曜日に僕は店内にほとんどウィスキーが残っていないということに気がついた。よく探してみても、ラフロイグとロイヤル・サルートしか残っていなかった。もちろん自分でロイヤル・サルートを飲むわけにはいかないし、お客の多くがラフロイグを好んでいたから、それも飲み干してしまうわけにはいかなかった。

 それでもお客は一人も来ないので、僕は何か飲んでも構わないようなものはないかと探した。新しいワインを空けるわけにもいかないし、その日早い時間に来たお客と一緒にビールをたらふく飲んでいたので、もうビールはごめんこうむりたかった。ふと、酒棚の二列目に隠れるように置かれた瓶から緑色の輝きが見えた気がした。僕はその酒瓶を引っ張り出し、誰もいないカウンターにそっと据えてみる。シャルトリューズ、ヴェール。上田さんから「ここを守っていてほしい」と言われたときにはじめて教わったリキュール。僕はそのとき以来、シャルトリューズを飲んだことがなかった。「どうしてあの日以来飲むことがなかったんだろう」と思いながら、僕はそれをそっとテイスティング・グラスに注ぎ、鮮やかなグリーンをストレートで口に含む。何か感動的な味わいや衝動があるわけではないけれど、悪くない。そっと喉元をとおした液体が胃に達すると、さっそく内臓から脳髄へとふるえが伝わり、耐えがたい心地よさに身体を許してしまう。もう今日は店を閉めてしまおうか、時間も夜中の一時に近づいている。そんな風に考えてしまいながら、僕はただカウンターの中で座っているよりほかなかった。怠惰なる労働。

 そこへ、とても意外なことに、僕がはじめてカウンター内に立ったあの日にはじめて店を訪れてくれたあの女の人が扉を開けた。前回は一人だったけれど、今日は男の人と連れだっている。あの日以来はじめて来店してくれたということを僕はしっかり覚えているが、今日は二人連れなので「久しぶりですね」と気楽に声をかけることはしない。学生時代に僕は、女の人と二人連れの時に何人ものバーテンダーに助けられてきた。今度は僕がそうして何か気の利いた会話をしなくてはならなかったのだろうけど、僕はただ注文をうけ、できるだけストイックな様子で飲み物を提供することしかできなかった。無に徹したのだ。彼女は最初に店を訪れたときと同じように「何かさっぱりとしたビールを」と注文し、男の人はバーボンのオン・ザ・ロック、バーボンだったら何でもいい、という注文だった。僕はいかにも忠実な素振りで注文を聞き、ヒューガルデン・ホワイトとハーパーのオン・ザ・ロックで注文に応えた。酒を置くときの「どうぞ」以外は何も発することなく、二人の会話に耳を傾ける。そうすることしかできない自分に、店の主としての矜持を疑わざるをえなかったし、普段はそんなことなどないのにという言い訳めいた考えも浮かんできた。

 二人の会話を聞いていると(それはほとんど盗み聞きだった)、女性の名前は彩華というのだとわかった。もちろん漢字については僕たちがその後もっと親しくなって、すくなくとも今隣にいる男がいないところでわかることなので、そのときは「あ・や・か」といったその男の発音を日本語の三音節に区切って理解するにとどまっていた。ただの「あやか」、その名にとくに意味はない。今のところは。男の名前は聞こえなかった。そのひとが男を名前で呼ばなかったのかもしれないし、僕が聞こうとしなかったのかもしれない。あるいはその両方だというのが正しいように思う。

 彩華さんはその後も前回と同じようにラフロイグのソーダ割りを飲み、三杯目にはラフロイグをオン・ザ・ロックで飲んでいた。僕はほんとうに、ラフロイグを残しておいてよかったと安堵する。名前のない男性は二杯目に何かてきとうな赤ワインを、と言い。三杯目には「ピニャ・コラーダ」と言い放った。僕はできるだけクールな面持ちを保ちながらも「ピニャ・コラーダですか?」と聞き返してしまった。そのスペイン語のカクテルはたしかによく注文されたけれど、男が三月の東京都内にあるバーで、しかも彩華さんのように美しい女性を隣の席におきながら注文するものとしては、いささか風変りだと言わざるを得ない。あくまで一人のバーテンの判断として。決して作るのが面倒だというわけではないけれど、あるいは僕の聞き返し方にそんな意が浮かび上がっていたのかもしれない。彼はもう一度注文を繰り返すことはなく、ただ苛立たしそうにうなずくだけだった。時刻は二時を過ぎたところだったので、多少酔っているのかもしれない。みると彩華さんも三杯目のラフロイグがあまり進まないようだし、僕だって暇をもてあましていた代償として、けっこう酔っていたのかもしれない。きっとその日は世界中が老若男女問わず、酔いに酔っていたのだろう。僕としてはそうであってほしかった。

 二人とも三杯目を飲み干そうとしながら、そろそろどこかへ行こうかと話しているようだった。彩華さんはくすくす笑っている。僕としてはできるだけ早く店内から出て行ってほしかった。べつに二人とも悪い人には見えなかったし、もちろん悪い客というわけでもないのだけれど、僕としてはその日、それ以上誰かと一緒にいられる自信がなかった。僕が聞き耳をたてて聞き取ったところでは、二人はどうやら近くにある彩華さんのマンションに行くようだった。僕は頼むから早く出ていってくれと叫びたいのをこらえて、シャルトリューズをカウンターの陰にかくれて飲んだ。できるだけうつむき加減で平常心のあるような顔をして「二人のお邪魔はしませんよ」という感じを装っていた。

 男性が「チェックをくれるかい?」と発したとき僕は、思わず椅子から飛び上がってしまった。早くその言葉を聞きたかったのにもかかわらず、まさかそんな瞬間がおとずれるとは思っていなかった。僕はなにせ、二人とまともな言葉をひとつも交わしていないのだ。僕はうろたえながらもそれを仕草に表さないように努めて、男にそっと会計を渡した。この人の名前は一体なんというのだろう。僕がその名を聞くことは最後までなかったし、これからもずっと知ることはないのだろう。

 僕が会計を記入した紙は男の手から二人の真ん中、カウンターの上に置かれた。「二千円くれるかな?」と男が言ったのを聞いて、僕はできるだけ顔がひきつらないように努めていた。彩華さんが立ち上がるとき、男はそっとその腰に手を添えて支えている。これからこの男は彩華さんを抱くのだ。その仕草ひとつがにおわせる二人のまだ浅い関係が、僕には痛々しく感じられた。二人とも年の頃は僕より四、五歳上といったところだろうか、そんな二人が腰を支えあって店を出ていく姿が僕にはとても疎ましい。何度も何度も僕だって、あんな風にバーの椅子から席を立つ女の腰を支えてきた。そうすると彼女たちは必ず、僕に一晩だけ身体をゆるしてくれたのだった。ほんの一晩だけ。

 二人が座っていた場所を片付けると、ほとんど三時になっていた。もはや誰も来る気配はなかったけれど、僕はまたカウンターの内側に座って、彩華さんのためにカウンターへ置いたラフロイグをタンブラーへ注ぎ、ストレートで飲んだ。もう一体何杯の酒が僕のなかで融和していったのかわからない。その中でもシャルトリューズの香りは、蘇るような強さで僕の内側から湧き出していた。僕はもうどこにも行けないのかもしれない、とこれからのことを思う。ずっとこの店で入っては出ていく女たちや男たちをみつめ、打ちのめされて、自らがすり減っていくのを黙認するよりほかないのかもしれない。今夜のことは、きっとその始まりにすぎないのだろう。ふう、と口から息を吐いてすぐに、鼻から吸い込んだ。ない交ぜになったアルコールの不純のなかで、ハーブの刺激だけが心地よかった。

 店内を見渡してみる。酒棚の反対側には、ボックス席とは言い難いくらいのいい加減な椅子と机のセットがふたつ並べてある。もともと上田さんがマスターだったときにはカウンターしかなかったのだけれど、自分が出ていくときに「コウヘイが仕切る『Santiago』は今よりもにぎやかになるから」と言って、これらのもはや不要なテーブルセットも残していった。上田さんが仕切っていた頃は朝五時までお客がいて賑わっていた店内を思い返し、まったく理不尽なことだけれど、そのテーブルセットを恨めしく、当てつけのように思った。その上には一枚の絵画がかけてあり、題名は『海』とある。今までは一度も気にすることがなかった絵の右下にあるサインを、そばに寄って見てみる。日本語読みをすると「ゴーシャ・トロイツキ」のようだけれど、筆記体の小さな文字なので、しかも店内の暗い照明の下では、それが正しいのかどうかあまり定かではない。ゴーシャという名前だとしたら、たしかそれはポーランドに多い、女性の名前だと思う。僕はポーランド(ワルシャワくらいしか都市の名を知らないけれど)のフラットの一室で、なんとか食いつなぎながら画材を整え、絵を描き続けることに情熱を燃やす一人の女性を想像する。きっと彼女はパトロンである男に飽きられはしないかと日々やきもきしていることだろう。その男に与えられた貧相なフラットで冷えた足を抱える彼女のそばにいてあげたいと思った。実際に傍らにしゃがみこみ、彼女を暖めてあげる想像をした。でも、その場所から見える海を思い描くことはできなかった。

 絵の前に立ちつくしたまま、店の扉のほうを見つめる。もう今日は誰も開けることがない扉。ニス塗りの重みある扉は、その他の設備にくらべると、とくにこの目の前にある貧弱な絵画と比べると(その価値をもちろん僕は知らないのだけれど)とても不釣り合いに見事だ。先日も、今日も、彩華さんがひらいたその扉。今日も、あの男ではなく彩華さんが先に立って扉を開けていた。宙に浮いたかのように静かな足音は覚えているのだけれど、どんな靴を履いていたのかは思い出せない。もしかしたら履いていなかったのかもしれない。けれど、それはカウンターの中からは確認しようがないことだ。初めてお店に来てくれたときは、コートの衣擦れが美しかった。今日はもうコートを着ていない。ふと僕は、もう春が近づいているのだと気がつく。上田さんが旅立ってからあまり時は経っていないけれど、こうして四季は礼儀正しく変わっていく。マラガの春はどのような景色なのだろうか。そこにはどんな海が見えるのだろうか。

 ゴーシャ・トロイツキの描いた『海』は、マラガからのぞむ地中海とは正反対の(と、僕が想像する)暗い海だった。というよりも、それは全面的に黒で描かれていて、決してそこに向かって陽気な船出ができるようなものではない。この海の向こうには何が見えるのだろうか。もしかするとこの海は、地理的にポーランドから眺められる海ではなく、ゴーシャという一人の女性の心の海なのかもしれない。ゴーシャはいつの時代を生きた人なのだろう。もし僕が『海』という題をつけて絵を描くとしたら、どこの海を思い浮かべるだろうか。それともやはり、ゴーシャが、あるいは世界の多くの人がそうするように、かつて一度は訪れたことのある自らの内奥という海を、脳髄を痛めて思い返すのだろうか。ところで、最後に海をみたのはいつだっただろう。

 ふと僕の頬に風がさわる。これは夏の海ではなく、秋の海岸で感じられる風だ。どこからか運ばれてきた落葉が波にたゆとい、いくつもの死が海辺を彩っている。しかし風だけはやさしい。多少冷たくもあるけれど、海辺にいることを忘れさせるくらいに春めいているやさしい風。それは僕の心の奥にある海から吹いてくる風だ。店の入り口のほうをみて、彩華さんが入って来た時のことを思い浮かべる。あの人が扉を開けたときどんな風が吹いていたのか、目を閉じて思い返す。彩華さんの足音が床に響き、共鳴する僕の足の裏、くるぶし、そして太ももが耐えがたいほどにゆすぶられる。目を閉じるとそこに香りはなかった。全身をゆすぶるような聴覚の目覚め、そして頬に感じる風。香りのない世界で僕は、彩華さんの存在を再生しながら扉のほうを見る。そこにはさっきカウンターに座っていたのと同じ格好で、彩華さんが立っている。僕は絵画から扉へと向き直り、真正面からその姿をとらえる。目を開けてしまったことを後悔するくらいに、リアルな想像が店内の残響を呼び覚ましていく。遠くマラガの地中海はかすんでいき、僕はその姿だけに全感覚を束縛される。圧倒的な無感覚のなかでかろうじて、僕はこうつぶやく。

「海を、みに行こうよ。彩華さん」

彩華さんはその刹那の花弁を切り落とすかのように、きっぱりとした口調でこう返す。

「あなた、一時間も経たない間にずいぶんと酔っぱらったのね」

       ※※※

 どんなに深く広い海でも、僕の恥辱を癒すことはできなかっただろう。僕は彩華さんを真正面に見すえながら、ただただ事実を事実でないものとして否認しようとしていた。目の前にいる、まだ出会って二回目の女性に対して「海を、みに行こうよ」と出迎えるというのは、いくら数々の女に対して「バーが暗くてもったいないな。ねぇ、もっと明るいところで君の顔を見たいんだけど、できれば全身を」などとかつてつぶやき続けた僕にとってさえ、なかなかエキセントリックなやり方だった。何より相手が一切の感動も同情も表に出さず、ただ僕の言葉を弾き飛ばすような眼差しでこちらを見ている。笑いの感性に訴えるには、あまりに美しく冷たい視線。

 僕はただカウンターの椅子をひき席をすすめると、逃げるようにカウンターに入り洗い物をした(一度洗った彩華さんたちのグラスをもう一度洗っていた)。しかしなぜ彩華さんは戻ってきたのだろう。今頃はあの男と二人、ベッドのまかにいるとばかり思っていたのに。そう思っているからこそ僕は、ゴーシャ・トロイツキの『海』に魅せられ、それゆえに彼女が海からやってきたかのような不可解な映像を浮かばせてしまったのというのに。いったい、なぜ。彩華さんはそんな僕の考えを見透かしているかのように言う。

「なぜ私が戻ってきたか聞かないの?」

「なぜ……でしょうか?」

 彼女が僕を見つめる。とても春先とは思えないような冷たい目線だが、かといってただ冷淡なわけではない瞳。どこかで見たことのあるような、でもそれはこの世のものではありえないというような瞳。その瞳がぼやけているのは、彼女が酔いを感じていて、まぶたが弛緩しているのかもしれない。それとも僕の感覚のどこかががゆるんでいるのかもしれない。いずれにしてもその瞬間には、僕の認識と彼女の認識とが相互に影響しあった結果生まれた世界を共有しているという喜びが、刹那刹那の連続フィルムとして回転していた。僕はぼやけた視界に浮かぶ彼女の右目の潤いに、ただただ浮かび続けたかった。

「まぁ、いいわ。あなたのお勧めするカクテルをひとつ作ってくれないかしら。ピニャ・コラーダ以外でね」

 すこしいたずらっぽく笑う彼女が、僕は哀しかった。そんなふうに愛らしい顔はあなたに似合わないのに。

「あそこでピニャ・コラーダは笑える」と僕が笑みを返すと、彼女が間髪をいれずに口をひらく。とてつもなく冷たい、けれども生命のにおいのする顔だ。

「さっきのあなたもかなり笑えたと思うけど?ねぇ、海ってなんのことなの」

 僕はただ「さぁ」と言うよりほかなかった。「さぁ」と言いながら僕は、両足首がまったく動かないことに気がついた。どうして僕は今、バーカウンターのなかで一人の女と対峙しながら、ただただ全身をこわばらせているのだろう。僕は今彼女にふるまうべきカクテルについて全神経を集中させた。きっといろいろと好みを尋ねるべきだったのかもしれないけれど、僕はただ憑りつかれたように抗う術もなく、ドライ・ジンをカウンターに置いた。もちろんひと通りの酒を楽しんだ今日の彼女に、何をふるまうべきかというのは難しい問題だ。ただもうそのときの僕はグレナディンを手に取り、ベルモットを手繰り寄せようとしていた。そうだ。彼女にささげるのはミリオン・ダラーよりほかない。僕は彩華さんの目を見ることなく、無心で手際を進めた。そしてふいに気づく。「生卵がない」。僕の二十歳の誕生日を祝おうとする父親とは真逆の状況だった。生卵だけがない。僕はこういうときどんな顔をしたらいいのか、あまり判断が上手ではない。が、ともかく事実を告げるのが先決ということで僕は彩華さんの顔をうかがう。その人いかにも哀しい顔をして、僕にうながすのだった。

「仕方ない人ね。わかった、どこかへ飲みにいこう。できるだけ近くて、かぎりなく非現実的に騒がしい場所へ」

「すみません」と僕は、謝る以外に返す言葉がみつからなかった。これから二人で飲みにいくだって?

「いいよ。もしよかったら、何かビールをひとつくれないかな。それとも片づけと店じまいの邪魔にならないのなら、一本だけ一緒に飲もうよ。これから飲みなおしするんだから、ビールから始めないと。もちろんあなたの奢りで」

 これまでにないくらいに饒舌になっている彩華さんだったけれど、さっきの男のことを一言も漏らさないことが恨めしい。いったいどういう理由でここへ戻ってきたのだろうか。途中で口論にでもなって喧嘩別れして、当てつけのようにここへ舞い込んだだけなのだろうか。これまでに僕は、何度か恋人同士のいさかいをなだめるという名目で、女の子たちと話し込んだことがある。そのうち誰もが僕にその夜の相手を許したけれど、彼女たちはまるでそういう申し合わせでもあるかのように元の男たちのところへと還っていった。僕としてはそういう刹那的充足の一端になれたことを、哀しく笑うよりほかなかった。

 後じまいというほどの作業はなかったし(なにせ暇だったのだ)、僕は彩華さんと一緒にマオウ・ネグラを飲んだ。すこしだけシャルトリューズのことを考えたけれど、二人でシャルトリューズ飲みかわす相手は、僕としては上田さんにかぎりたいところだった。もう一つ言えば、実のところ僕はほとんどもう酒を飲みたくなかった。ただただ目の前の人の髪の毛が揺れ動くのをみつめ、ときどきその髪が彼女の肩にさわるたび、身震いをした。僕はどうしてこの人とカウンターに並んで座り、午前四時近くに瓶ビールを飲むことになったのか。つい今しがた起こったことがらの経緯ですら、僕はまともに整理することができなかった。やがて彩華さんが「行こうか」という。ビール瓶をテーブルに叩きつけるように置いて、僕は小さく頷いた。

 僕たちは二人そろって246へ出て、タクシーを拾った。もし「できるだけ近くて、かぎりなく非現実的に騒がしい場所へ」と運転手へ告げたとしても、車は渋谷の真ん中へ向かっていったかもしれない。あるいはただの酔っ払いだと相手にされなかったかもしれない。そんなことをしたら彩華さんにどんな目で見られるかわからないから、僕はただ「渋谷まで」と告げる。正確にはどこかと聞かれたので、井の頭線の改札口あたりに停めてほしいと注文する。窓から外を眺めると、とても深夜らしい深夜だった。246を走り続ける車内には一切の光も音も差し込んでこなかったのではないかと思えるくらいに、街は静まり返っていた。それは僕たちの乗った車が首都高の下を走っていたからかもしれないし、何か今すぐには答えられないようなものが、僕たちをやさしく覆い隠してくれていたのかもしれない。あるいは、すこし眠ってしまったのかもしれない。

 いずれにせよ道玄坂の標示板が見えてくるまでの間、彩華さんは一言も発することがなかった。ただじっと前方を見据えている彩華さんを見つめていると、意外に小柄なことに気づく。カウンターに隠れて見えなかった体の部分は丸みを帯びていて、もちあげると気持ちよく左右に揺れる果物のようだ。僕が「もう、つきますよ」と声をかけると彼女が一度気だるそうにまばたきをして、僕のほうに向きなおった。今日これまでに何度、僕はこの瞳を浴びたのかわからなくなってしまった。

        ※※※

 渋谷には学生時代(卒業してまだそれほどの時は経っていないけれど)から知っている店、とくにバーがたくさんあるけれど、さすがに四時半を過ぎても開いているところは少ない。この時間帯には終電をとり逃がしたうえに、その晩かぎりを添い遂げる相手をも逃した人々が各所で集いあって互いの身をすり寄せあい、さらには泥濘のように酔っぱらった男女が「もう一切れの可能性を」という願いを込めて次々と酒を頼んだりするので、無感覚に陥る寸前のダンス・フロアで拡張する恍惚にも似た無音の世界を感じることができる。渋谷明け方前、そこは敗残者の集い場であり「かぎりなく非現実的に騒がしい場所」。そこではただただ無口にハード・ドリンクのタンブラーをかたむけ続ける者か、あるいは意識を失い泥の中に横たえられていることを、天空の雲海に浮かんでいると幸福にも取り違いをしている者か、そのいずれかでなければ生き延びることができない。

 僕たちはそのいずれの属性に属するのかと問われれば、きっと前者だということになっただろう。彩華さんはロング・アイランド・アイスティーでも飲みたいといい、僕はピートのきいた、できるだけやくざなシングル・モルトが飲みたかった。とにかく二人とも、この現世から逃れるにはどうしたらいいかということだけを念頭においていた。僕たちは井の頭線渋谷駅の近くでタクシーを降り、僕が知っている店にまっすぐ向かった。店はどちらかといえば通りに開かれていて、バーというよりパブの様相。こういう時間にはとにかく先ほど言ったような敗残者たちが集いやすい場で、なぜなら入店する客はみんな通りから、目ぼしい男、あるいは女がいないかどうか検討をつけることができるからだ。それでだいたいにおいてみんな泥酔の絶頂という状態なので、そこに人間と名のつけられそうな輪郭をみつけるやいなや、自らの襟を整えて入店するというわけだ。ときにはそれはパブのマスターその人を女に見違えていたということもあるし(マスターはなかなか整った顔立ちをしていて、髪をオール・バックでまとめている)、あるいは入り口に逆さに立てかけてあったモップだったということもある。そういうわけで、僕たちのように男女の二人連れというのは珍しかった。

 店内を覗くまで忘れていたのだけど、日曜日の朝四時半という時刻には、世間は新しい一週間に向けて動き出している。もう新聞の朝刊を読み始めている人もいるかもしれないし、とてつもなく遠い私立の高校に通うために、もう起きだしている勤勉な高校生だって少なくはないだろう。彼らが明日という未来を今日へと塗りかえていく姿をそれぞれに思い浮かべてみると、そのどれもがとても正しいことに思われた。一方で僕はいま彩華さんと、昨日という過去の色あいをできるだけ隠密なやり方で守りぬこうとしている。過去はくり返すことができない。だから自らがどんなに傷ついたとしても、未来において少なからぬ犠牲が払われることになろうとも、一度愛した過去だけはそのままの姿で守りぬかなくてはならないのだ。その色あいはきっと思いもよらぬ速度で褪せていくのだろうけれど、その原型としての姿を保つことができるのは自分だけだというひそやかな優越は、何ものにも代えがたい。店には僕たちのほかに二人組(男二人だった)が一組カウンターに座っているだけで、マスターはそっと僕に「今日はもう閉めることにしたんだ、また来てよ」と言った。申し訳なさそうな、ただこちらとしては頷くよりほかないような、やさしく困った笑顔だった。

 マスターに背をむけ歩き始めたところで、彩華さんがこちらに首をかしげた。

「ねぇ、どうしようか?」

とても朝の四時半とは思えないような新鮮な顔だった。ただそれは彩華さんの表情になんらかの変化が生じたというわけではなく、僕自身がそんなに近くで彩華さんの顔と向きあったことがなかったからだろう。この人は「生」の人なのだ。この表情のなかにはきっと未来に向けてずっと、永劫に、死の影が映ることはないだろう。死へと続く時の経過は彼女の正反対に位置していて、彼女のまわりに漂うわずかばかりの空間では、すべての時が静止しているのだった。朝の四時半という沈滞の息苦しさでさえもそれにはひれ伏していて、常態的な目覚めの雰囲気に僕は圧倒されてしまう。僕はこの人とどこに行くんだったろうか。

「もう一緒に飲む場所もないし、家の近くまでタクシーで送りましょうか。それか、うちの店にある酒を飲んだっていいし……」

「あなたって冗談がへたくそ。それとも、他の女の子にもそんなこと言ってるの?」

「はぁ……そう、かもしれないです」

「『かもしれない』じゃない。はっきりしてよ。深夜すぎの男と女、ここは渋谷なのよ。『かぎりなく非現実的に騒がしい場所』なの、わかる?」

「はぁ……」まったくこの人には」勝てないみたいだ。

「わかったら、さっさと寝る場所を探しましょうよ。できるだけ静かで、二人にやさしいところを」

         ※※※

 目覚めると彩華さんはいないはずだった。そういう予感がしたというよりも、僕は強くそう望んでいた。それとは相反して、道玄坂のホテルで目覚めた僕の顔に覆いかぶさるようにして、彩華さんは一度途切れた僕の認識のなかにふたたび現れた。こうして毎日(徹夜でもしなければの話だけれど)一度、多い時には数回眠りにおちてその度に意識を失っているというのに、僕は毎回のように現世界に舞い戻ってくる。従順で堅実なシステムだと感心する。僕は「もう昼になろうとしているよ」という彩華さんの吐息を感じながら、今日という自らの世界をまとめはじめた。彩華さんの吐く息が暖かくて、まぎれもなく生きたひとりの人間がそこにいるのだと物語っていた。できることなら、彼女の寝顔をみたかった。先に目覚めているのは僕で「もう昼になろうとしているよ」と、僕のほうから声をかけてあげたかった。それともこの人は、ひと眠りもしていないのかもしれない。

 もしかすると、彩華さんは昨日とは違う彩華さんなのかもしれない。幾度も幾度も切り離され、つなぎ変えられた僕の連続的認識は、そこまで精緻につくりこまれていないのかもしれない。僕が眠った間のことを僕は知らない。ただ僕はもう、目の前にいるその人が次にどんな声を発するのかということだけを待ちかまえているのが嬉しくてしかたなくて、ただただ黙ってこのままでいるのも悪くないと思った。過ぎ去る時によって積みあげられていく哀しみのことを考えなくてよいとすれば。

「今日は、葉山くんとどこかへ行きたいな」この人はいつから僕の名前を知っていただろう。「どこか、葉山くんの行きたいところに」

僕は思いを巡らせる。部屋の外の雑踏と、その間を駆け巡る寒風のことを思う。そしてその風にのり、僕は行先を思う。彩華さんがじっと見つめてくる。部屋が暗くて、どんな瞳の色をしているのか識別できない。茶色のようにも、深い緑のようにも見える。ただ瞳の中心はその周辺に比べてどこまでも暗く、それはどこか遠い国のことを思わせた。スペインでもポーランドでもない、できるだけ遠く静かな国のこと。その瞳にだんだんと僕の意識が集約されていくのが感じられる。心地よい認識の途切れがまたやってくるような気がしたけれど、僕はかろうじて意識をつなぎあわせて、言葉を選んだ。

「海がいいです」

「海に憑りつかれてるんじゃないの?ねぇ、それ本気?」彩華さんはふき出す。

「たぶん、本気なんだと思います」僕はまだ彩華さんの瞳に取り込まれていた。

「わかった、すぐに行こう」そう言うと、彩華さんはすぐに服を着はじめた。

「そうしましょう。とてもいい海があるんです。遠いけれど静かな、とてもいい海が」

彩華さんが背中を向けてきたので、ブラジャーのホックをつけてあげた。それをもう一度はずして、後ろから抱え込むように彼女を感じた。右手で左の乳房を支え、左手で右の乳首にだんだんとにじり寄った。左手は乳首にぜんぜん届かないまま彩華さんにはたき落されてしまった。

「行こう、はやく」彩華さんは行き先も知らないはずなのに、僕の手をとり歩き出そうとした。遠いけれど静かな場所へ、僕たちは向かっているのだ。

 僕たちはホテルを出て、渋谷駅へ歩いた。彩華さんは行先を聞かなかったので、僕たちはただ寒さのことを話したり、道端に落ちている花束をみつけたりした。大きな大きな花束で、とても「うっかり忘れてしまって」とは言い訳できないような代物だった。はるか半日以上も前となった日曜日深夜の名残としてはあまりに生気に溢れたオブジェとして、それは渋谷の中心にばらまかれていた。僕たちはその他に語るべきことを何ももちあわせないままに、渋谷駅の新南口へ向かった。

 横浜駅で電車を乗り換えて、京急電車へと乗り継いだ。彩華さんも無口なままで、彼女も二人の沈黙を苦にしていないところがうかがえてうれしかった。たまに話すことといえば「二日酔いじゃない?」とかそんな程度のことだった。そういうやり取りをしていると、こうして二人どこかへいくということが幾度もくり返された、そしてこれからも重ねられるであろう当たり前のことであるかのように思われるのだった。京急を横須賀中央駅で降りると、昼の二時が近づいていた。僕は彩華さんが空腹でないのか気になったけれど、そのことは伏せておいた。僕たちは夜行列車が周囲の景色に目もくれず走っていくように、ただひたすらに目的地へ向かっているのだ。

 横須賀中央駅のロータリーでバスを待っているとき、僕は彩華さんにふと尋ねてみた。「今日は何の予定もなかったんですか?」彼女はこちらを向いたけれど、一切の声を発しない。ただまばたきもしないまま僕の顔をみつめているので、僕はバスが来るであろう方向に目をそらした。バスはぜんぜんこない。僕には今日予定がなかっただろうか。そして明日の予定はあっただろうか。その次の日、来月、来年、僕は何をしているのだろう。この僕という人生。そしてそれが終われば、いったい何ものとして生きていくのだろう。

 バスがあまりに来ないのでもう一度彩華さんのほうをみつめると、彼女はうつむき加減に微笑んでいる。そんな表情を僕は、かつて一度しか見たことがなかった。僕がまだ幼くて、たしか小学校の低学年生だったころ、うちで飼っていた金魚が死んでしまった。母親に僕がそのことを告げると、母はいま目の前で彩華さんが浮かべているのと同じ表情をしていた。そして何度も何度も金魚の死を告げる僕を、母はただ何も言わずそうして眺めていた。彼女たちは本当に、何も言わなかった。僕はいくつになってもこうした女たちの唐突な微笑に、おののき続けることになるのだろう。

         ※※※

 バスがやってきて安心したころには、もう空腹のことも明日の予定も一切気にかからなかった。僕たちは横須賀美術館にいくのだ。ずいぶんと遠いようで、ずいぶんと近い場所なのかもしれない。そこは山と海とのはざまにありながら、相互の臨界点を美しく保つ機能美を維持している。ガラス張りの建築物を一度何かの写真で目にしてから是非行ってみたかったのだけれど、僕は一人のままでは横須賀そのものにすら立ち寄ることがなかっただろう。だいいち美術や芸術と名のつくものにこれまで関心や敬意をうまく払うことができなかった。というのもなんだかそうしたものが疎ましく、自分とは縁遠いものとして遠ざけておきたいような、不確かな感情を抱えていたからだ。彩華さんと横須賀美術館に行こうと決めたとき、渋谷のホテルで彼女の瞳に誘われながら、僕はどうしても美術館の外観を頭の芯から引きはがすことができなかった。というよりもバスに揺られている今まさにそのときでさえ、海と山とをつなぐその景色が僕の心を、僕というものの全体をとらえて離さずにいる。美術館の外観に映りこむ青空と海、空高く、ときに脅かすように下降する鳶。そんな景色をまだ実際には見たことがないというのに。

 美術館そのものにこうして惹かれていた僕だったけれど、いったい彩華さんが同じように興味をもってくれるのか、だいたいにおいて今日どんな展示が催されているのか、とかいう一般的に気にかけるべきことに関しては一切見当がつかなかった。彩華さんには、バスに乗った後でさえ行先を告げていなかった。特別展の情報なんかは携帯電話ですぐに調べられただろうけれど、僕の携帯電話はとっくに電池切れの状態だった。なにせ僕たちは、一夜を共に乗り越えて横須賀まで来ているのだ。

 彩華さんが窓際に座り、僕がその隣に座っていた。バスは海沿いを走るものだとばかり思っていたけれど、一本海岸から遠ざかった道を走っているらしく、海は最後のほうまでずっと見えなかった。それでも「どこに海があるの?」とか「私たちはどこにいくの?」とかあれこれと尋ねない彩華さんはとても好ましく思われた。この人はいったい何歳なのだろうか。僕よりも年上に思えるけれど、ただ窓の外を眺める彼女の姿はひときわあどけなく見えた。ある意味においての、永遠の少女。そして僕は、年齢も知らない女の人と一緒に、まだ見ぬ場所にやってきた。決して地理的には遠い場所ではないのだけれど、そこにたどり着くまでに僕はずいぶんと年をとってしまったような気がしていた。あくまでそんな気がしただけだけれど。

 バスは美術館の名前が入ったバス停に停まり、そのときに僕は初めて、そこが観音崎というのだと知った。思えばよくここまで迷わずに、電車やバスを乗り継いでこられたものだ。僕は横須賀美術館がある土地の名前さえ知らなかったというのに。美術館を目の前にするとそれは思い描いていた姿よりも小さく「こんなものだったかな」とつぶやかずにはいられなかった。はっきりと声に出してそう言っていた。彩華さんは僕がそう口に出してしまうことを知っていたかのように「美術館も人も、外見だけで判断するものじゃないから」と返す。とても嬉しそうにしている。この人がこれまでに見聞きしてきたすべてのものごとを、知りたいと思った。いつの間にか彼女が僕の先にたち、僕たちは海沿いをめぐる車道を渡って、美術館前の芝生広場を横切っていった。芝生広場ではひとりの子どもが、車道に飛び出してはいけないと両親に叱られていた。

 特別展としてさくらももこさんの展覧会が開催されている。残念なことに彩華さんも僕も、さくらももこさんに対する知識を豊富には持ちあわせてはいなかった。ここに来るまでに抱いていた不可思議な高揚感が虚に帰したかのように、僕たちは漫然と館内を歩いていた。美術館自体は塩害を防ぐために堅牢なつくりになっているけれど、ところどころに開けられたガラス採光窓から降り注ぐ陽光は見事だ。そこで僕は初めて、その日はほんとうによく晴れていたという印象をもつ。それくらいにただ何の思慮もなく、僕たちは海沿いの美術館にやってきてしまった。何がそうさせるのかがわからないという心地よさが、いまだに曖昧としたままで僕の目の前に拡がっていた。ただ目の前にいる彩華さんは確かな意志をもって展示に見入っているようで、僕はいくぶん救われる思いがした。

 彩華さんは「こんなキャラクターいたっけ?」とか「これ、私でも描けそう」とかそんなことを言いながら、けっこうな速さで展示物のあいだを進んでいった。僕はわりあいこういうときに展示物の説明を読み込みたいので、彩華さんとは次第に距離が離れていった。もしかしたら彼女は早く帰ってしまいたいのではないだろうかとも思ったけれど、たとえ関心があまりないにせよ美術館に来ることなんて珍しいのだし、じっくりと観て回りたかった。僕の進みが遅いとたまに彩華さんが戻ってきて「次のコーナーおもしろいよ」と先をうながす。彼女はなぜこんなにも先を急いでいるのだろう。

 ひきずられるように特別展を観終わった頃、美術館へたどり着いてからまだ三十分すこししか経っていなかったと思う。そのときにはすっかり彩華さんを見失ってしまっていた。もしかしたら僕を置いて帰ってしまったかもしれない。彼女の携帯電話の番号は知らないし、だいたい僕の携帯電話は既に電池がない。僕はただただ順路に従うほかなかった。特別展を観終わったらその後の常設展をめぐることができるというけれど、僕はいよいよまったく知らない分野のことなので展示物をずんずんととばしながら、とにかく彩華さんをみつけようと足を進めた。

 常設展は館内の地下にあり、階段を降りていくとひんやりした空間が続いている。地下なのだけれども陽光は天窓からかわることなく降り注いでいて、僕はだんだんと自分の方向感覚というか、空間の把握力が失われゆくのがわかった。僕はいま建物のどこにいるのだろう。僕はいま世界のどこにいるのだろう。僕以外で常設展スペースにいるのは、係員の人が椅子に座っているだけだった。女の人だったけれど、うつむいていて顔は見えなかった。僕は彩華さんが冗談で係員さんのふりをしているのであればいいと思う。彼女を見失ってからずいぶんと多くの時間がすぎてしまった。

 展示物には目もくれずに足を進めていたのだけれど、僕は一枚の絵画に思わず立ち止まった。真っ青な、ただ青が一面に拡がる絵画。その紙面上にとどまっているとはとても思えないほどにふんだんで深いブルーが、展示室の白い壁全てをその内部に同化させてしまうような存在感を主張している。もちろん画家の名前は知らなかったが、題名は既視感のあるものだった。

 『海』

 これはどこの海だろう。たしかなのは、この海とゴーシャ・トロイツキが描いた海とはつながっているということだ。この日本人画家とポーランドの女性画家とに面識があるにせよないにせよ(おそらくないだろう)、それぞれの海はそれぞれの海としての在り方を保ちながら、お互いにつながっているのだ。世界中の海という海はすべて、あらゆる意味においてつながっている。ゴーシャ・トロイツキの描いた暗い海とこの海とは、とても同じ場所には思えない。横須賀の美術館に展示されているからには横須賀の海なのだと思うけれど、ただ『海』とあるこの景色がどこのものかなんて僕には一切見当がつかない。もしかすると長崎から見渡す日本海なのかもしれないし、静岡から見る太平洋なのかもしれない。もしかするとマラガから臨む地中海かもしれない。いずれにせよこの海は、ほかの表現のしようがないほどに青い。そして一切の登場人物がいない。

 深く印象に残る絵画ではあったけれど、とにかく彩華さんを探さなければいけないので僕は先を急いだ。常設展の壁は一面真っ白で、僕はそのなかを次へ次へと進んでいく。白いはずの壁は、先ほどの『海』と同じような、あくなきまでに鮮やかな青に変わりつつあった。僕は二度と建物から出られなくなるのではないかと不安だった。その不安が重なるほどに、室内の壁はどんどんと青く青く塗りかえられていく。音のないままに。僕はそんな錯覚に眩暈をおぼえながら、彼女のことを探し続けた。隅から隅までくまなく探したつもりだったけれどいっこうにみつからず、僕はついに美術館の出口にたどり着いてしまった。あの人はどこへ行ったのだろう、と僕はもはや多少のいらだちすら感じていたけれど、どこかで引き返した彩華さんと行き違いになったのだろうと考えなおし、一度順路を入り口まで逆戻りすることにした。

 終わりから始まりまで、展示室の順路を遡るというのは初めてのことだった。ずいぶんと速足で戻っていったように思う。常設展のある地下から地上階に出て、さくらももこさんの特別展を逆再生する。僕は時をとり戻すように美術館のなかを歩きまわったけれども、彩華さんは見つからないし、コジコジは先ほどと何もかわらない顔で微笑んでいるし。僕はいよいよ彼女に置いていかれたのだと確信し、ふたたび順路を出口にむかって往復しはじめた。どうせならもっとゆっくりしたいものだけれど、三回も展示室を通り抜けられたのだから、ぜいたくな観覧だったと思う。そして何より彩華さんとは、ほとんど初めて会ったようなものなのだ。何かが彼女のなかで違和感として膨らんでしまい僕の顔を見たくなくなったとしても、僕としてはどうしようもないことなのだ。それは多くの致し方なく哀しいものごとの、たった一つであるにすぎない。

 とはいえいくぶん肩を落としながら、僕は常設展のある地下へともう一度降りていく。地下の展示スペースの壁はやはり真っ白だった。僕は昨夜抱いて眠った彩華さんの肌も、この壁紙のように一点の曇りもない白だったことを思い出す。その肌はこれまで何人の男に、あるいは女にふれられ、抱かれてきたのだろう。僕はおそらく彼女の肌を再び抱くことはないだろうけど、僕の掌、そして全身に、常識では考えられないくらいの濃度で彼女の体温が蘇り始めていた。やけに生々しい記憶の逆流に僕はたじろぎ、美術館の階段の途中で思わず立ち止まってしまう。もう一度彼女にふれてみたかったのに。

 不思議と怒りはわかない。彩華さんが立ち去ると決めたのなら、僕はその意志に対してなんら介入することはできないのだと、諦めるほかなかった。僕はもうすこしで、椅子に座っている係員に話しかけてしまうところだった。「ねぇ、僕と一緒にいた女の人なんだけどさ、どこかへ消えちゃったんだ。夢みたいに消えちゃった。そうだな、彼女はたしかに夢みたいだった。でも名前がきちんとあるんですよ。彩華さんっていうんだけど、とても綺麗な人だった。それともあれは、名前がある夢だったのかもしれない。あなた、そういう夢にふれたことはある?」

 順路を最後までめぐりながら、もう一度すべての展示スペースを確認した。彩華さんの姿はどこにもなかったけれど、僕はもう一度『海』の前に立ってみる。おそらくこの絵画をこれから何度観ることになっても、僕はただ「青い」という印象を抱くことだろう。海はすべからく青く、とても現実の世界にそんな眺望があるとは思えないほどに一貫して青かった。ただし先ほど僕が見落としていたものが一点あった。一面に描かれた海の遠くのほうに、一羽の海鳥が描かれている。先ほど見落としていたというわりに大きな存在感をもつその鳥は、僕に何かを語りかけてくるようなところがある。なんという鳥なのかは知らないけれど、なにかその鳥がいることではじめて『海』という作品が完成に至ったように思えた。僕は先ほど認識した『海』を、自分の見落としを修正することで完全なものに至らしめたのだった。

 僕はその海鳥を間近でみたり、遠目に引いて見たりしたけれど、一度見落としたとはとても思えないほどに心惹かれる出来栄えだった。海鳥は全身を真っ白に仕上げられていて、それは鳥というよりは海上のさざなみに反射する陽ざしか、あるいは光そのものがかたまりとなって飛んでいるようだった。僕はその鳥にふれてみたかった。ずっとずっと眺めていたいほどに、愛おしかった。

 どこへ帰ればいいのかよく判断がつかなかったけれど、美術館を出ると空はもう夕方をむかえていた。一転して赤みをおびた空は、間違いなく横須賀の空だった。僕たちがここへ来たときに芝生広場にいた子どもたちはみな入れ替わって、また別の子どもたちが遊んでいた。この子どもたちに付き添う親御さんたちは平日だというのに大変だな、と平均的な感情をもつ。昼間にくらべると寒いけれど、季節ははっきりと春にむかっていた。僕はそろそろ店へ帰らなければと思い、バス停へと向かう。ちょうどいい頃合いだ。今から帰れば、すこし遅れ気味だけれど、無事に「Santiago」を開けることができる。昨日切らしてしまった酒類の注文をしていないけれど、それもなんとかなるだろう。酒屋さんに急遽電話をして届けてもらうのはしのびないけれど、仕方のないことだ。

 そこでふと、月曜日であることを思い出す。そうだ、月曜日なのだ。僕は今日「Santiago」に帰ったところで何もするべきことがない。僕にはもう帰るべきところがないのだ。それでは僕は、これからどうすればいいのだろう。横須賀の海に夕陽が沈もうとする今、僕はただ美術館に背をむけて立ちつくすだけだった。

       ※※※

 はげしい頭痛に顔をしかめながら目を開けると、僕はバーのカウンターで眠ってしまっていた。ここは「Santiago」のカウンターだ。どれくらい長いこと眠ってしまったのだろう。お客は誰もいないようで、僕はそもそもバーテンのときの恰好に着替えてすらいない。さっきまで自分が何をしていたのか記憶を手繰りよせようとするけれど、駄々をこねる子どもが小突いてくるみたいに頭が痛む。僕は今日という日をどのようなかたちで過ごしていたのだろう。するとそのとき店のトイレから流水音がして、僕は身を縮めた。お客がいたのだと思い僕は慌ててカウンターのなかに入って、できるだけ平然を装うことにした。

 しかし、トイレから出てきたのは上田さんだった。

「あれ?どうしたの、バーテンやってくれるの?けっこう寝てたから喉かわいたでしょ。水飲む?それともビールにする?今日はまた派手に暴れてくれたなあ、葉山くん」とひとしきり喋りたてている。僕はカウンターに立つ上田さんをみて、呆然とするほかなかった。上田さんもまた僕のことを不思議そうに眺めて「今日は、だいぶ酔っぱらったねぇ」と漏らした。

「上田さん、いつ帰って来たんですか?」

「帰ってくるも何も、トイレにいっていただけじゃないか。コウヘイくんがぐっすり寝ていたから」

「僕はどれくらい寝ていたんだろう……それよりもスペインは、マラガはどうしたんですか?ずいぶんと長いこと滞在するみたいに言っていたじゃないですか」と聞きながら僕は、上田さんが何かやむを得ない事情で帰ってきたのかもしれないという可能性を考えられない自分を恥じた。きっと上田さんなりの考えや避けえない事情があって帰ってきたはずなのに、あまりにも不躾だった。何よりも僕は今の今まで、酔っぱらってカウンターに突っ伏していたのだ。

「マラガ?」と言う上田さんは、いよいよ笑いを堪えきれない様子だ。「南のほうだとセビリアくらいには行ったことがあるけど、マラガはないなぁ。行ってみたくはあるんだけどね。コウヘイくんマラガなんてよく知ってるね」

 僕はいよいよ泥酔の頂点に入り込んでいるらしい。自分の服装が、半袖のポロシャツにハーフチノパンツ、さらにはゴム製のビーチサンダルであることに気がつく。上田さんもシャツは半袖のものを着ている。僕は先ほどまで春めいた横須賀の夕空を眺めていたはずなのに、かたや今は真夏の恰好でバーのカウンターで、ここにいるはずのない人と向きあっている。横須賀ではそこにいるはずの彩華さんが消え、「Santiago」ではそこにいないはずの上田さんが現れる。僕はいろいろなことを上田さんに聞かなくてはいけない。僕と上田さんは今日どうやって再会したのか、どうやって一緒に酒を飲み始めたのか。なぜ僕はバーテンダーとして働いていないのか。そもそも僕は、どうやって横須賀から帰ってきたのか。

 僕は状況が呑み込めないままに、上田さんが差し出してくれた水を一気に飲んだ。何から整理すればいいのだろう。僕は上田さんにおそるおそる聞いてみた。「上田さん、僕はいつから眠ってしまったんだろう。いつから、こうしていたんだろう。ねぇ上田さん。今は春なんでしょうか、それとも夏なんでしょうか」

上田さんは僕の顔を見つめたまま表情を変えない。ふと、横須賀中央駅で彩華さんが浮かべた表情を思い出す。同じだった。まったく、今日はこの顔をよく見る日だ。そうして上田さんは口をひらく。

「それは葉山くんが望み、葉山くんが決めることだ」この人は何を言っているのだろう。僕は全身が崩れ落ちるような眩暈を感じ、カウンターの外に出ていった。よろめきながら頭痛をこらえていると、ゴーシャ・トロイツキの『海』が目に入る。暗いはずのその海は、真っ青な色彩にかわっていた。そんなはずはなかった。僕は慌ててその絵画に近寄り、作者の名前を確認する。ポーランドの女性名が残されているはずだったのに、そこには「支倉彩華」と刻まれてある。題名は『El Palo』。

 僕はただ自分を支えるものを探して、カウンターの席についた。ゴーシャ・トロイツキの名は失われてしまったし、そこには消えてしまった彩華さんの名前と思われるものが刻まれている。もはや『El Palo』はどこの海なのだろうかと考えることなどできなかったし、上田さんに尋ねることもしなかった。それは既に失われてしまった要素だけで成り立っている絵画だった。僕はずいぶんと追い詰められてしまっているようだ。もう一度この状況から抜け出すために、上田さんにお酒をもらおうと考える。いったい僕は何を飲んでいたのだろう。

 カウンターに残された自分のテイスティング・グラスをみると、わずかに残った緑色の液体が輝いている。グラスを手にとり、カウンターを照らすランプにかざしてみる。まぎれもなくそれはシャルトリューズ、ヴェール。その残り香が僕の鼻孔に心地よく滑り込み、いっさいの動揺が沈静化されてゆくのがわかった。僕はそのわずかな残滓をすぐに飲み込んだ。

 手に持ったグラスに向かって「海を、みに行こうよ」と語りかける。僕の言葉は誰もいない店内で四方八方に散り、空間のそこかしこに吸い込まれていった。それは誰も聞いてはいない言葉であると同時に、誰しもが聞いている言葉だった。それはそのようにして生まれ、また消えた。寄せてはかえす波のように。その波がたどり着く場所で僕はまた、彼女に会えるのだろう。彼女とは、彩華さんでありゴーシャでもあり、そして上田さんでもあるのだ。

つながっているのだ。世界中の海という海はすべて、あらゆる意味においてつながっているのだ。

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