• 小宮山剛

私は、その男の写真を見たことがある

こんにちは、僕です。

かの名作にして親しき文学、太宰治の『人間失格』は次のようにはじまる。


私は、その男の写真を三葉、見たことがある。

これは言うまでもなく主人公大庭要蔵の成長を追う三葉の写真であり、小説が帰結しゆくトラ(堀木とのことば遊びで言うところの)を決定づけるかのごとき、女たちに囲まれ、女たちのいる世界でしか生きていくことのできない人生を暗示する写真たちである。


この一文をあらためて読み返しながら僕は思うのである。僕の人生をたどる写真を見返せば、僕の人生に暗示されるものを読み解くことができるのではなかろうか。


それはもちろん大庭のように、女たちに囲まれたものではないだろう。純粋無垢を地でいく小宮山の血筋である。硬派を額に刻まれたような僕のことである。そんなはずはない。ただし、大庭とは異なる人生だからといって、ほいそれ安心ということにはならないだろう。人生にはあらゆる業があり、あらゆる不徳がある。僕はそれらのいずれにも埋もれることがないと断言できるだろうか。僕は自分のことを純粋無垢であると信じているが、人間のどんな欲にもまみれることなく生きてきただろうか。


幸いにも今やインターネッツ全盛である。ネッツ上には僕の写真がありふれており、Googleで僕の名前を検索しただけでも、とある大学受験対策参考書に向けて書いた僕の合格体験記が出てくるくらいである。


僕がデータで自画像を管理しはじめた、と言ってもそれは自らのナルシシズムにもとづく自賛のためではなく単なる思い出の集積にすぎないのだけれど、自分のプロファイル画像のようなものを収集しはじめたのは、高校生の終わりごろである。それゆえに、残念ながら、僕の天使のように美しい幼少期を映した写真は手元にない。ほんとうに、天使のように美しい幼少期をお見せできなくて残念至極である。


だからまずは、高校生の頃から始めてみよう。小宮山の人生を辿ってみよう。


そしてこの文章をお読みになった方にも感じていただきたいのである。僕の無垢で、決して食欲にまみれてはいない人生を。そうだ、僕の人生は決して食欲にまみれてはいない。決して。たぶん。もしかしたら。もし、そう願うことができるのであれば・・・。



高校卒業時のわたし

いきなりのどアップで恐縮である。しかしながらこれが、この文章の基点となる一葉である。整髪料(ナカノスタイリングワックス5)をわずかに馴染ませた清潔感のある頭髪、くりりと大きな瞳。なぜか右側だけ細くなってしまった眉毛がまた愛らしい。表情が左右で多少ゆがんでいるところがサイコっぽいところもあるが、緊張していたのだろうと思うとそれもまた愛らしい。かわいい。さぞや幼少期は、天使のように美し


なお、福岡の高校における頭髪チェック基準が世間でも話題になっていたが、この髪型でしっかり生徒会長を務めていたんだから、まあそこまで騒ぐこともなかろうにと思う。


僕はこの頃テニス少年であり、テニスの王子様でいうところの「菊丸英二」のような天真爛漫なプレイヤーを目指していた。



高校時代のテニス写真

いかがだろうか。


上級者向けと言われるYONEX製のRDS001をぶんぶんと振り抜き、回転数少なめのストロークで相手を押しまくるという、菊丸英二とはちょっと違うが力強いテニスである。なお、このときの大会では一回戦勝利(相手が捻挫した)、二回戦敗戦である。


全国大会か・・・?いえいえ、区大会である。ちなみに帽子の下は、別に悪いことをしたわけではないけれど、丸坊主である



慶應に入ってからのテニス

ほかのテニス画像を探したところ、もう大学に入学してしまっていた。かわらず力強いストロークである。なお、このときの打球はネットをこえ、相手をこえ、向こう側のフェンスに突き刺さった模様である。野球で言えばスリーベースヒッツになったと思われるが、テニスでは立派な失点である。要するに、打てども打てどもコートに入らないのである。


そして、おわかりだろうか。髪の毛がちょっとだけ茶髪である。あぁ、ナカノスタイリングワックス5をわずかに馴染ませたあの清潔なヘアスタイルはどこに。。。


とはいえ、大学に入って髪を染めたのなんてわずか一回きりである。もうそれはほんと「彼ぴがつまんないから今日は渋谷で朝まで飲み明かしちゃうもんね!」とのたまう女子大生くらいに気まぐれな、シェフの気まぐれサラダなみのおっちょこちょいである。ところで、シェフの気まぐれサラダって絶対レシピ決まってますよね。



髪を染めていたわたし。色使いが変である

なお、髪の毛の感じがよくわかるのはこんな写真である。


明らかに髪の色よりも服の色使いに目が行ってしまう。アイボリーのような微妙な色の革ジャン(ユニクロ)にブルージーン(ユニクロ)、そしてなぜコンバースのピンク色スニーカーがこんばんはしているのか。悲しみだってこんばんはしてきそうである。


おかしい・・・。こんなに早くボロを出すはずではなかった。これは名誉挽回しなければならない。僕の燦然とかがやく青年への移行期にふさわしいイケメン写真があるはずである。


ほら、データフォルダがんばれ。Google顔認証がんばれ!



自宅でのオフショッツ

三田祭でのショッツ

すごい。これはすごい。快挙である。もちろん加工なんかしていない。将来の高橋一生さんここにありである。いや菅田将暉さんかもしれない。


いや~、これは貴重な一枚なんじゃないの?モテモテで困ったんじゃないの?過去の僕?え?すごかったんじゃないの??いい波乗っちゃってたんじゃないの~~?


というわけで、他の写真も勢いに乗って検証していきましょう!

(次の写真くらいまで、大学入学してわずかの間のことです)



大学一年生ほやほやのわたし

あぁ。これはモテないですね。


どうしてこいつは、こんなにも笑顔でいられるというのだろう?かろうじて通常の色彩感覚を保っているハーフジーンですら、行き過ぎたダメージによりブラック企業就職後3か月の新入社員かのごとき様相である。ピンクとパープルの組み合わせに、どれだけパ行が好きなんだと突っ込まざるをえない。そして、なぜ、パープルのソックスをハイな感じではいちゃったのかな?左手首の数珠もどうやら本人的にはご満悦のようである。


ちなみにこの数珠、ガラス窓が装着されておりそこを覗くと勢至菩薩様がみえる。もう何から何まで失格である。『人間失格』もびっくりの失格、NHK歌謡大会であればカーンである。オリバー・カー・・・


・・・。まあなんやかんやありまして(めんどくさくなった)僕は無事に大学を卒業したのである。そして静岡で就職し、そのころには視野が広がってきた。


どういったふうに視野が広がってきたかというと、なんだか目には見えないものがとても大切なんじゃないかという気持ちになっていた。別にスピリチュアルな会に所属していたわけでもないけれど、この頃から僕はやたらロング・ウォークに凝ったり、夜な夜な真っ暗闇の部屋で「絶対的、闇」とつぶやき続けたりしていた。(ちょっと盛りました)


ともかく、大学を卒業したら僕はこうなりました。


小田原、夕日の滝でのわたし

それ、もういっちょ


富山、大岩山日石寺でのわたし

・・・。とくにコメントはないが、いずれも2月の小田原やら大晦日の富山である。凍てつくような水や雪にはだしを触れたとき「死ぬ・・・」と思うのだが、いざ滝の落ちる音に耳をすませば、どこか遠くから呼ばれるような気がして「生きたい・・・」と思うのだから不思議である。


「落ちる」という一過性の動きでありながらそれを永劫に続ける滝というものは、死と再生の象徴であると思えてくる。生きる、死ぬ、という一方向的な時間軸を遠く遠くから眺めてみれば、それは始まりも終わりもない円環構造になっているはずである。滝から落ちた水が川を流れ大海に飲まれ、また大空から降りしきる雨となるように。


滝行は僕にこんなことを思わせてくれる。今という一点にいながら、人間としての生き方をしながら、ときとして現世の向こう側を垣間見させてくれる数少ない行いである。


とはいえ最後に滝行をしたのが5年ほども前の大晦日である。


修行の効果というものは、継続なければこれ消滅である。すなわち僕はストイックであることをやめてしまった。もう何というか、ほんとうに急に欲にまみれてしまった。人間の三大欲求である。僕だって人である。いや、ヒト中のヒトである。欲求万歳である。大好きである。


もう、とにかく食べて食べて食べまくりました。


ちょっと太ったわたし

ちなみにこのポーズ、べつに太ったことを強調したいわけではない。「こっち向いて~」と言われたから「がお~☆」と返したくらいの勢いである。ところがその勢いたるや、百獣の王も恐れをなすであろう電撃的かつ変態的なものである。地動的ですらあるほどの重みがある。威厳ではなく、もうビジュアル的にヘヴィーな重みが凝縮された一枚である。


なお、大学4年生くらいの写真と比較してみると、こんな感じである。


大学時代のわたし、社会人のわたし

これほど明確な三択をかつて見たことがない。


もちろん過去である。過去一択である。未来なんてどうなるかわかったもんじゃない。より太り続けるに決まっている。もう、これ以上写真を探すことなんてやめたいよう。泣きたいよう。沈まぬ太陽。


しかし人間とは成長する生き物である。


いやその、太る的な成長じゃなくてさ、考え方が成長するという意味である。つまりここから僕は劇的かつ明瞭な改善をなすはずである。痩せるのである。かならずや高橋一生さん的、菅田将暉さん的、なおかつ伊藤英明さん的、福山雅治さん的、和田アキ子さん的、


えぇいもうなんでもいい!やせるんだぁ!!



!!

痩せた・・・ような気もする。実は体重でいえば、10キロ以上落ちている。まさに努力のたまものである。しかしどうだろうか、僕はかつてダイエットの結果毛深くなったという人をみたことがない。僕の場合は特殊だったのかもしれない。


修行の成果がなんだか間違った方向に出てしまったのか?人生という単純明快なはずの道をGoogleMapの使い過ぎでどこかの農道に迷い込んでしまったのか?僕とは何か?髭が本体なのか?レゾンデートル?現存在?我思う、ゆえに髭あり?


いずれにせよ、この十年にわたる変遷を経て、Googleの顔認証システムも大いに混乱しているようだった。


Google先生も困惑

いや、この二枚はわずか一年くらいの間なんですけど!


・・・。大庭要蔵のせいだ・・・。『人間失格』をちょっと読んでみようかなんて思ったがために、こんなにもひどい仕打ちを自らに課してしまうことになった。恐ろしいことである。


文学とは、恐ろしいものである。


とはいえ、こんなに変わってしまった僕にだって変わらないものがある。それが何なのかは、先々の文章で書くことにしよう。

(今はまだわかっていない)


・・・そしてもうひとつ。過去はとり戻せる。


これは僕の強がりではなくて、昔の大富豪が言ったことである。詳しく言えば、ロングアイランドのウェストエッグの大邸宅に住んでいた、オックスフォード大学出(たぶん)の実は気弱で愛すべき大富豪である。今日のところは彼のことばを引用して終わりたい。この言葉の真意次第で僕の人生は良くもなり悪くもなるし、僕の永遠の愛は失われもするし報われもする。


これはそれほど決定的で、儚い言葉である。


 He[Gatby] broke off and discarded favours and crushed flowers.
'I wouldn't ask too much of her,' I ventured. 'You can't repeat the past.'
 'Can't repeat the past?' he cried incredulously. 'Why of course you can!'

The Great Gatsby, F. Scott Fitzgerald

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