• 小宮山剛

椎葉福岡浅草茂木高知梼原福岡また椎葉

 こんなに無機質なタイトルでいいものかと自分自身に問い直しながらも、もうこれ以外にタイトルはつけようがないんだと自己憐憫をはらんだ哀しい納得に首を縦に動かすよりほかない。僕が7月31日から8月2日にかけて移動したこれらの町のすべて、ひとつひとつには、そうやって納得させるだけの力があったし、あとはそれらの要素を縦断的かつ横断的にとりまとめうる語彙なりキャッチコピー力が僕にないことを憂えるばかりである。


 とにかく、この旅は長いものであった。長いさよなら、短い滞在、そしてまた来るねという約束。果たされるべき約束・・・。それは「君以外はみんな糞野郎だ!」というような投げやりな別れではなく、鼻水まみれのハグという大げさなバカ騒ぎじみた別れでもなく、ただ淡々としながらも永い熱情に満ちたさよならの連鎖であった。


 椎葉村から福岡空港への道のりは、僕にとって(何度も言うが)通いなれたものだった。それは僕の実家が半道橋ICのすぐ近くにあるからという理由でもあるし、その道のりにほのかな既視感という大記憶のどこかしらから立ちのぼる鮮やかなノスタルジアを感じているせいでもある。馬見原の交差点を左折し福岡方面に向かうのは、たまらない。また一方で、馬見原の交差点を右折し椎葉村方面に向かうのも、たまらない。僕はこれから何度NISSANキューブに乗ってこの交差点を行き来するのだろう。交差点の交叉のアスファルトのひび割れから控えめに顔を出したダンデライオンが、夏の日差しに苦情を投げかけていた。


 福岡空港から羽田へのフライトは、いつも青い羽根に乗ってのことだ。しかしながら今回はスカイマーク。その一点だけが僕を不安にさせたが、飛行機は飛行機だ。プロペラ機だろうがなんだろうが、だいたいは間違いなく目的地に連れていってくれる。僕が載ったSKY122だか何だかの便はヒースローに着くこともケネディ国際に着くこともなく、羽田空港に到着した。ゆずが「風鈴の音で~」と歌っているのが「クーリングオフで~」と聞こえる。空耳アワーにだしてみようか、そんなコーナーは、ないか。


 羽田から京急、そして都営浅草線へと乗り継げば浅草はすぐである。間違えようがない。スカイマークが多少遅れたからといって、その道のりはかわらない。久々に見えたスカイツリーが高く、疎ましい。サルマンの塔が見えたときのような憂鬱な感じをおぼえさせるこの塔が、僕はなんだか嫌いだ。理由はもちろん、隅田川花火大会の特別展望チケット抽選に5年連続ではずれたからだ。毎年僕の誕生日付近にあるこの人々の集積所たる花火を、一度でいいから天空の上から眺めてみたかったものだ。もう、東京に僕はいない。


 そんな代わりと言うのもなんだが、椎葉村ではじめてむかえた誕生日は最強だった。突然に語彙が乱れて、いや元々語彙なんていうものを携えた人間の書くブログのタイトルではないとお怒りかもしれないが、申し訳ないと思う。しかしそれくらいに椎葉村での誕生日は最強かつ最高の特攻野郎Aチームであった。なにせ、僕の誕生日である7月26日に、僕が微力ながら携わっている椎葉村複合拠点施設の起工式が催されたのだ。僕は29歳になった。そのまさに同日に何か恐ろしいほどの大きな事象が動き始めたような、デカルトの不動の動者がほんのひと指で天体をまるごと動かしてしまったかのような、そんな脈々たる胎動を感じた。


起工式で披露された複合拠点施設の・・・これなんて言うの?

 僕は誕生日というものにまったく執着してこなかった。ハンス・カストルプみたいに時間を押して縮めてまた伸ばしては、たまたま都合よくつけられた7月26日という蓋然性のない日付を疎ましく思い、ときに恨み、歳の数だけ増えていく豆やテキーラ・ショットを憎んだ。そしてまた、その日共にある面々を愛し、また忘れた。しかしながら2019年のそれはまったくの別物であった。それは祝祭の予感にあふれた中世の雰囲気を醸した、パッヘルベルのカノンが聴こえはじめてしまうようなミツバチの羽音であった。ダリの悪夢ではなく、見知らぬ牢獄で聞く機会時計のブゥーーーーーーーーーーーーーーン、でもない。山々を飛び回る可愛らしいミツバチたちの羽音が、たしかに僕の耳に届いていた。


 話を戻そう。だいいち、このタイトルのせいだ。この佐藤春夫じみたタイトルをつけてしまうまで僕は、単刀直入に結論に向かおうとしていたのだ。それがまるで「ヴィッカスホールはよかった」みたいな文句を思い出させるタイトルにしたものだから、酒、唄、煙草、また女・・・とはじまってしまうわけで、まったく虎の威を借りる猫のような気がしてそれでもって気がめいってならない。まったく、賞の授与を懇願する手紙を書く奴の気が知れない。


 とにかく僕は、えぇと・・・どこへ行ったんだっけ。そうだ。天空のツリーだった。僕はどちらかというと東京タワーが好きだ。古き良き東京五輪、三丁目の夕日、今日の次にある明日、並んでみる夜景、晴海ふ頭に浮かぶオブジェとしてのそれ・・・。東・京・タ・ワー。江國香織さんの描くシフミさんが思い起こされる。黒木瞳さんの演ずる彼女も、素敵だった。


 浅草では夕方から夜にかけて大変に有意な時間を過ごさせていただき、また翌朝は朝早くから(7時)栃木・茂木に向かうという濃縮されたカルピスをそのまま飲み下したかのような時間を過ごすことができた。喉にはしっかりと、多分醍醐味の次の次くらいに旨いとされたサルピスの残滓が歴史とともにしがみついている。


 そうして訪れた栃木は暑かった。日差しを手にとれば結晶になっているのではないかというくらいの暑さのなか、僕は有識者の方のご案内をいただきながら「ふみの森もてぎ」様を訪れた。図書館に関わり始めてから是非ともお伺いしてみたいと思っていた念願の場所で、そこへお伺いしたということを書き始める前に佐藤春夫やら江國香織やらでずいぶんと回り道をしてしまったことを恥じ入るとともにもったいなくも、いやそれもまた良かったと思う次第である。僕は29歳になった。ずいぶんと遠くまで来たものだ。


「ふみの森もてぎ」ではキュートなお尻がお出迎え

こちらもキュート・・・黒板塗装のされた書架に誰かが書き残したピ〇チュウさん

元リフォーム会社勤務としてはこの図に興奮しないわけにはいかなかった

栃木・茂木町を訪れた際はぜひ!

 今回栃木・茂木町を訪れたわけは、図書館に携わる者としてぜひこの館の独自分類法を学んでおきたかったからです。日本のほとんどの図書館で活用されている書誌分類はNDC(Nippon Desimal Categorization)と呼ばれるのですが、いわゆる十進分類であるこの分類への僕の個人的疑念は東野圭吾の主人公が重ねるものよりもうず高く積もっていました。ふみの森もてぎ様が打ち立てられたMCC(Motegi Categorization and Connection)について詳しくは館長様のブログにお譲りしたいのですが、一見の価値ある書架空間と仕込み蔵を彷彿とさせる展示室などは他にはない魅力にあふれていました。



昼食はここで・・・

あぁっ!ぼうりょくてき!!

 食の写真をアップすると同時に、とくに僕のフェイスブックからこのページに飛んでいらした方に対しては、僕は謝らなければならないことがある。栃木から東京・浅草へふたたび車でお送りいただいた後、僕は喜び勇んで高知へと飛んだ。今度は赤い羽根である。ポルコ・ロッソもびっくりの軽やかさで、羽田から高知龍馬空港までのフライトは一時間とすこしばかりである。皆さんいいですか!東京~高知はわずか一時間とすこしばかりである!


 僕はたしかに、フェイスブック上でも宣言していた。高知にて食べるということを。あの、マヨネーズ・ラーメンを食べるということを・・・。


 しかしながら僕は、その写真をここに掲載することができない。それは著作権があるからでも、太陽がまぶしかったからでも、高知に着くやいなや現地の愛人と秘匿の花園に向かったからでもない。僕はむしろ、21時頃という遅いチェック・インをすませるやいなや汗ばんだシャツを脱ぎ棄て、ポロシャツ一枚で(もちろん下は履いて)、マヨネーズ・ラーメンの香りがするほうへと歩み始めていた。愛が呼ぶほうへ、君の前ではなぜこうも・・・。


 しかしながら第一関門は、お目当ての「じゅんちゃん」がないということだった。グーグルマップに屋台店の場所を正確無比に示すことなど期待していなかったが、じゅんちゃんがあるあたりをウロウロしようがオロオロしようがまったく見つからない。僕はいつの間にか「じゅんこ・・・、じゅんこ」と今までに一度も関係をもったことがない女性の名前を口ずさみながら歩き回っていた。彷徨えるメルモスはそこで気づくのだ。


「マヨネーズ・ラーメンだらけじゃないか」


 たしかに、そこいらの屋台すべてが、と言ってもいいくらいにそこはマヨネーズ・ラーメンに侵略されていた。ラーメン、ラーメン、マヨラーメン。権藤、権藤、雨、権藤。慎吾ママもびっくりのマヨラーの聖地である。僕は「じゅんこぉ!」と声をあげて、手近でかつ一番空いている屋台に飛び込んだ。じゅんこじゃなくたってよかった。もう誰でもよかった。愛が呼ぶほうへ僕は飛び込むんだ。Dive into the Love。その愛の持ち主は「やまちゃん」だった。なんか福岡・中洲で同じ名前の店に入ったことがあった。何度も。


 それが悲劇のはじまりであり、終わりであった。やまちゃんに入るや否や僕のあるセンサーが小太刀ビンビン丸になったのだ。僕は感じた。ひたすらに、毎日巣の下から眺めてくる不審なニンゲンに怯える燕の雛のように、感じた。


 何がそうさせたか・・・。それは、僕のラーメン感ともいうべきものである。言い換えるならば、ジロリアンのはしくれとしてのアンテナである。


 そのお店は僕にいくつかの二郎を想起させた。川崎なんかではない。もちろん神保町でもない。めじろ台?違う。あんなミニー・マウスのカチューシャをつけた店員さんなどそうそういるものではない。品川・・・ちょいと違う・・・。あぁ、そうだ。目黒っぽいな。なんでだろう。なんで?


 僕は気づいたのである。店長さんの顔がとある出版社の社長さんそっくりだったのである。「悪魔になれるか」「営業相手先には30分前につけ」という、彼のいくつかの名言が脳裏をよぎる。箕輪氏のツイートも頭をよぎる。僕は思う。「じゅ、じゅんこぉ!」。もう、とても写真なんて撮れる雰囲気じゃない。悪魔にやられてしまう・・・。僕はそう思い、スマートフォンをリュックサックの奥の奥に叩きこんだのであった。こういうわけで、僕はマヨネーズ・ラーメンの写真を撮ることができなかった・・・。


 ・・・なんやかんやあってマヨネーズ・ラーメンと瓶ビールは美味しくいただいた(癖になりそう)うえに、やまちゃん(本名かどうかは知らない)とも陽気に会話させていただくことができた。やまちゃんさんによると、じゅんちゃんさんはたまたまお休みだったとのことだ。次はぜひじゅんちゃんさんに行ってみたいものだが、やまちゃんさんにもお会いしたいものである。そうすると僕は二杯のマヨネーズ・ラーメンを食すことになるのだろうか。じゅんちゃんさんはそのことをどう思うだろうか。いや、別に屋台のメニューはマヨラーだけではないのである。皆さんは高知の夜を安心してむかえてほしいと思う。

 

 その後はラムバーで有名なBitter Sweetsさんにお邪魔し、マスターさんとお互いに顔を覚えていたということをやんわりと確認しあい、高知の老舗であるフランソワさんにお邪魔した。そこでの出会いもまた夜のスパイスというにふさわしいものであり、その夜はマヨネーズ・ラーメンとじゅんことやまちゃんと、ホワイト・ラムとボート・レース、そして二郎がないまぜになったまま過ぎていった。


限定ボトルでいただくトロワ・リビエール

 

 さて、マヨネーズ・ラーメンとじゅんこにいったいどれくらいの字数を費やしてしまったのだろう。後悔はしていない。


 翌朝は早起きし、どうしても訪れたかった町である佐川町にお邪魔し、さかわの協力隊さんたちとの短い再開を惜しみつつもそのまま梼原町へと向かった。1時間半ばかりのドライブは、なんだか椎葉村への道のりにも似て心地よい風とともに走り抜ける時だった。ゆすはらの風を、感じる。


好天に恵まれたなか訪れた「ゆすはら雲の上の図書館」様

ゆすはらではこの方がお出迎え。キャラクター大事だなぁ

隈研吾氏の建築。福岡出身としてはどうしてもスタバを思い浮かべ、元静岡民としては日本平を想起する

山の恵に囲まれた風薫る図書館、素敵でした

 言わずもがな有名なゆすはら雲の上の図書館様であるが、今回はその書誌分類法であるYCC(Yusuhara Categorization and Connection)を主な学習対象として訪問させていただいた。とはいえ高知・愛媛両県から多くの観光客の方が訪れるこの館を語るにはひとつやふたつの要素ではもちろんのこと足らず、3時間も見学のお時間をいただいたというのに僕は「また行かなければ」との思いをつのらせるばかりであった。何度も来たくなる場所である。僕もきっと、そうした場所をつくらねばならないのだろう。できるのだろうか、できないのだろうか。僕は今年、29歳になった。


 帰り道の風も心地よく、ハンドルをさばく両手はロザリオをくるビッドルバウムのように魔術的な運動を繰り返していた。高知に来るたびに時間がないと思う。僕はあとどれくらい生きられるだろうか。僕はあとどれくらいの時間を、自分の好きなようにこうしたかたちで愛することができるだろうか。

 

 帰り際の高知龍馬空港では、今まさに2009年の夏から出てきたようなマキシ・スカートとカンカン帽といういで立ちの中年女性に目が釘付けになった。その人はじゅんこさんだったかもしれないし、じゅんこさんではないかもしれない。彼女とすれ違った後に出会ったのは、高知で子どもたちへの特別ラグビー教室を終えたばかりのラグビートンガ代表であった。もうすぐラグビーワールドカップがせまっていることを思い出し、僕はその日が2019年の8月2日であることを慌てて思い返す。今を生きなければ、ならない。


 高知龍馬空港から福岡空港へのフライトもまたほんの一時間とすこしのものである。福岡と高知もまた近いのだ。それを便利になりすぎていると揶揄する向きもあろうが、行きたいところへ行きたいときに行ける、あるいは愛すべき人に愛すべきときに会えるというのはひとつの幸せである。愛すべき人がいれば、という話だけれど。じゅんこぉ。



いつの間にかいかつくなってしまった、つばめ殿

 高知から福岡に帰って、疲労困憊そのままに椎葉村へ帰村。着いたのは土曜日の朝6時半でした。寝る間もなく消防団の側溝掃除へ向かい、翌日は青年会の草刈り。筋肉が喜ぶ二日間で得た収穫は、はかり知れません。


 出張から帰ってきて、僕はさっそくKaterieに営巣しているつばめ殿の様子をみにいった。さぞや寂しそうにしていることだろう。僕をみたら「トォチャン、寂しかったよう」と鳴くんじゃなかろうか。あぁお土産を買ってくればよかったなぁ。でもつばめ殿たちは何を食べるんだろうなぁ。などと感慨にひたりながらのぞいてみると・・・、いつの間にかギャオスみたいな目つきになって疎まし気にこちらを眺める悪い子ちゃんになっていました。「は?なんだし??は???」という声が聞こえてきそう・・・。つばめ殿・・・。煙草とか吸うなよ・・・。


 ・・・長くなりましたが、そんなこんなで茂木町、梼原町への弾丸行程は無事終了したのでした。業務上は「じゅんこぉ」などの文言はいれずに、これまでになくしっかりとした報告書をあげさせていただきます。まずは取り急ぎ、台風の夜に眠れぬままに1時間半ほどで書いたこのブログを書き残しておきます。


 すごい!このブログの執筆時間よりも東京~高知間のフライトのほうが短い!誰か、次は一緒に高知へいきましょう!!





上椎葉ダムを下方から眺めると、無限の青空

73回の閲覧0件のコメント
 

購読登録フォーム

©2019 by 「小宮山剛(秘境で司書×ライター)」 Proudly created with Wix.com