• 小宮山剛

ワタナベみたいなホストとは

 高田馬場から新宿までの道のりを歩いていた。電車に乗れば早いのだけれど、その日僕はとても他人と顔を寄せ合いながら電車に乗れるような気分ではなかった。朝から特攻隊のラジオ体操で叩き起こされたうえに、相変わらず緑は大学の構内で僕と一言も口をきいてくれなかった。とくに緑と話さなければ僕のなにがしかが損なわれてしまうというわけではないけれど、それは決して僕にとっての最良の状態とは言い難かった。ラシーヌの授業は休講となり、村上春樹の功績をたたえる博物館の建築は隈研吾が引き受けることになったと学内のあちこちで喧伝されていた。歩きたい気分だった。  グローブ座をこえ、新大久保をこえる。道端では韓国料理屋で買ったフランクフルト状の何かを頬張る格好で、二人の女子高生がスマート・フォンを構えていた。自撮りをしているのだろう。僕の視野に彼女たちが映った頃から彼女たちは夢中になっていて、僕が彼女たちの横を通り過ぎるのを待たずしてそのフランクフルト状の何かは、彼女たちの唇に触れることなく自動販売機の横にあるごみ箱の「カン」のほうに突っ込まれた。彼女たちは自らが映ったスマートフォンに見入り、僕は哀れなフランクフルト状の何かが金属ごみ処理場でプレスされる様子を思い浮かべた。9月の心地よい風を送っていた空から、唐突に大粒の雨が落ちてきた。  バー「トロイメライ」がある角を曲がり、僕は職場へと向かった。「職場」という言葉でホストクラブを呼ぶ人間が日本のなかに、あるいは世界のなかにどれくらいいるのかわからないが、きっとそう多くはないだろうと思う。このところ僕は昼に大学の講義を受けてしまうと、夜は歌舞伎町で働くようになっていた。以前からやっていた他の仕事はすべてやめてしまった。レコード屋は僕がレコードを割って出血する騒ぎを起こして以来なんだか気まずくなっていたし、工場のライン作業の仕事はホストの仕事にくらべるとまったく割に合わないものだった。  緑にはホストの仕事をしていることは伝えていなかった。べつに伝えても彼女はそれを何とも思わなかったか、あるいは幾分の興味をもって話を聞いてくれたかもしれなかった。ただ僕は「なぜホストをはじめたの?」と問われた場合に何と答えたらよいのかがわからなかった。それはただの成り行きといえばそれまでだけれど、僕の説明できない込み入った事情が含まれた一連の出来事の交錯の結果だった。緑には、説明すべき時がきたら打ち明けようと思っていた。  秋雨のせいで逆毛がへたりはじめていた。僕は店で髪の毛を再びセットしなおす時間を逆算し、店までの道のりを急いだ。小走りになることで汗をかいてしまい、もっとスタイリングが崩れてしまうことになってしまったかもしれないけれど、それは致し方無いことだった。昨晩から飲み続けているかのような酔っ払いが、道のあちこちにいた。彼らのほとんどは虚空をみつめながら一人きりでふらついていて、多くの場合は左手にストロング・ゼロを持っていた。彼らはそれが何か巨大な組織の決め事であるかのように、ストロング・ゼロを左手に持っていた。  店に入ると、ここ2カ月くらいで店に入ったボーイが掃除をしていた。ボーイたちはまるで小さな広告代理店の社員みたいに入れ替わり立ち代わりするのでいちいち顔を覚えていられないのだけれど、彼の顔だけは妙に心に残るものがあった。彼はいつも店内の掃除を細やかな心配りで行い、営業中も何かと気の利くところがあった。 「ジェイさん、お疲れ様です」彼は言った。 「お疲れ様」  僕はこう返しながら、この場所で自分が「ジェイ」と名乗っていることを改めて不思議に思った。ジェイ・ギャツビーのジェイだ。この名はこの店のリーダーにつけられたものだが、僕は本人に会ったことがない。声を聞いたことがあるのも、入店の際の電話面接のときだけだ。僕が面接のために店を訪れると、そこにはボーイしかおらず、僕は奥の事務室に通された。そこにはあくまで事務的な電話機があくまで事務的におかれていて、それが載せられた事務机以外には何もなかった。電話をするために腰掛けるであろう、椅子すらなかったのだ。ボーイは部屋を去りながら、僕に面接のルールを伝えた。 「ワタナベさん」と彼が僕の本名を読んだ。 「はい」僕は事務的に答えた。 「しばらくすると、と言ってももう間もなくのことですが、その電話が鳴ります。でもすぐにはとらないでください。まずは2回着信コールがなり、電話は一度切られます。そうしたらまた電話が鳴りますから、今度は3回目のコールで受話器をとってください」 それはとても奇妙な話に聞こえた。ボーイの事務的な口調と裏腹に、そこには何か連綿と受け継がれてきた秘匿の儀式めいた調子が含まれていた。僕は「わかりました」と答えた後で、つい我慢できずに訊いてしまった。 「それには、どんな意味があるんですか?」 「それ、というと?」ボーイは扉を閉める手をとめ、僕のほうを上目遣いに見ながら訊き返した。あくまで事務的な口調はそのままだった。 「一度電話をやりすごして、またかかってきた電話を今度はとる。そこに何かの意味があるとは思えないんです。僕が今日ここに来るということは相手に伝わっているはずですよね。これじゃまるで、世間の目を逃れてここに閉じ込められているみたいだ」 ボーイは一度下を向いた。やれやれ、と口に出したように聞こえたけれど、あるいはそれは僕の聞き間違いだったのかもしれない。 「意味のないようにみえる行為が、じつはもっとも意味のある行為なのです。それはときに世の中の流れの潤滑油になりうるし、暴力的にもなりうる。逆の使い方をすれば、ということになりますがね」ボーイはにこりとも笑わずにこう言った。僕がその言葉の意味を掴み切れずにいるうちに、彼は扉を閉め去ってしまい、電話が鳴った。  1回、2回。僕はただ言われるがままに電話のコールをやりすごした。すると電話はきちんと鳴りやみ、部屋のなかは閉じられたクッキーの箱みたいに静かになった。僕はあのボーイの言うままになり、次のコールを待った。「そうしたらまた電話が鳴りますから」とボーイは言った。ただ、それが一回目の着信の後すぐに来るのか、それともとても長い時間をかけて待たされた後にくるのか、そのことについて彼は一言もふれなかった。二回目の電話が鳴るまでの時間は永遠とも思えるほどに長かったけれど、ほどなくして鳴った二回目の着信の3コール目を待つことはそれ以上に長かった。 「はい」僕は電話をとり、声を振り絞った。 「よう、ワタナベくんかい?」電話の相手は、まるで僕のことを何年も知っていた友人かのように話しかけてきた。僕としても彼の声にどこか聞き覚えがあるように思った。 「はい、そうです」僕はあくまで事務的な口調で答えた。 「う~ん、ホストやるって大変だけどね、とにかくね、まあひとつやってみてよね。うん。なぜやろうと思ったのかな?」 最初僕は彼が言っていることの意味を掴みかねていた。ようやく僕がおかれた状況的文脈を察して、それがなぜホストをやろうと思ったのかということだと理解したときには、電話の向こう側の聞き覚えのある声がもう声を継いでいた。 「ダメじゃ~ん。ダメダメじゃ~ん。ホストたるもの、話を途切らせてはバッドだよ。トゥー・バッドなんだからもう。ま、なぜやろうと思ったのか、っていうのはよく知っているから大丈夫。君のことはほとんどなんでも知っているからね。大丈夫、そこんとこは。今度から私のことは『リーダー』って呼んで。オーナーとかなんとか間違った呼び方するともうそれバッドだから、そこらへんはよろしくね」彼は息継ぎもなしにこう言い切った。僕はようやく疑問をさしはさむ余地を見出し、彼に訊いた。 「なぜ僕のことを知っているんですか」電話を握る手が汗ばみ受話器を取り落としそうになったので、僕はそれを右手から左手へともちかえた。  一瞬の沈黙があった。永劫とも思える沈黙だった。それはあるいは電話回線の乱れであったかもしれないが、僕はその沈黙になんらかの意味があるとしか思えなかった。電話の向こうで「リーダー」と名乗るその男が言葉を選んでいる様子が伝わってきたのだ。やがて沈黙は打ち破られ、男は前と同じ調子で語り始めた。 「君ね、好きな本はある?」 僕は相手が何を言っているのか掴みかねた。まったく質問の答えになっていない。僕は「いや」と漏れた声を押しとどめ、ようやくのことで前日の永澤さんとの会話を思い出しながら答えた。 「好きな本と言われると戸惑いますが、いま読んでいるのは『グレート・ギャツビー』です。『華麗なるギャツビー』という定訳をとる人が多いかもしれませんが」僕はいったい自分は何をやっているんだろうという気になった。そのまま受話器をおいて、金輪際ホストなんかにはかかわらずに生きるという選択肢もあったかもしれない。しかし電話の向こうの相手は、今度は間髪を入れずに話し始めた。 「そう、そうだよね。君がそう言うだろうことはわかっていた。だから、今日から君は、すくなくとも私の店のなかではね、こう名乗るように。「ジェイ」。ジェイというのが君の名前だからね。ワタナベはいない、この店にはいないんだよ。ジェイだ。秘密めいた存在としての、悲しみを運命づけられた宿命中の宿命だ。いや何も銃で撃たれてプールに浮かべっていうわけじゃない。君には富を手にしてほしいんだ。ニューヨーク中のスキャンダルを一身に背負うくらいのね。ま、ここは歌舞伎町なんだけどさ」 僕はただ「ジェイ」と繰り返した。それ以外にどういう切り返しがあったのか、僕は今になっても想像することができない。そうつぶやきながら僕は、ジェイという名を悪くないと思い始めていた。悲しみを運命づけられた宿命中の宿命、ジェイ。 「そういうことだから、ま、頑張って」そう言うと、電話の向こうの男は通話を打ち切ろうとした。 「待ってください」僕は反射的に声を出した。「あなたは、僕のことをほとんど知っていると言いました」 無言。 「あなたと僕は、どこかで会ったことがあるんでしょうか」やっとのことでこう訊いた僕は、もう一度受話器を右手にもちかえながら答えを待った。 「ワタナベくん」とリーダーは言った。「もう朝に起こすようなことはしないから、あ、あ、あ、安心してね」  そう告げるやいなや、電話は切れてしまった。僕はしばらくの間電子音を放つ受話器を見つめたまま立ち尽くし、もうその部屋に用事がないことを思い出した。電話を元どおりの事務的な様子に戻し部屋を出たら、店内には数人のホストが既に出勤しており、僕のことを新入りとして迎え入れてくれた。初出勤の日取りやある程度の準備について教わり、まずは髪の毛を伸ばすようにと言われた後僕は高田馬場の寮に帰った。部屋を開けると、そこに特攻隊の姿はなかった。  長い回想から抜け出たときには、僕はもう自分の持ち場につき来客を待っていた。自分でどのように準備したのかよく覚えていないけれど、逆毛はいつも通りセットされており、いつも通りのラグジュアリー・ブラックのスーツが身体に馴染んでいた。そう、僕はもうジェイなのだ。  ほどなくして法子が現れる。入店時からの常連で、毎日と言ってもいいくらいに訪れる彼女は、全身をクロエでかためたいつものいで立ちだった。そうだ、今日もいつも通りの夜が始まるのだ。そう思うと僕は、否応なしに自分がジェイであることを、戦慄するほどまでに思い知るほかなかった。 店の入り口から「ごきげんよう」と法子は言った。彼女が言うと、その気取った挨拶もあくまで自然体のうちに溶け込んでしまう。僕もまた「ごきげんよう」と言って、彼女を入り口からボックスへと案内した。隣のボックスでは既に年配の常連客がシャンパンを注文していた。昼間から飲んでいたのか既に酔客と化したその中年の女は、だらしなく開けた口からロジャーグラートをこぼしていた。 「今日も賑やかね」と法子が言った。 「すこしうるさいかな?」 「うるさい?うるさくないホストクラブがあるのかしら?」そう言われると、そのような気もした。 「もしかしたらあるのかもしれない。そこはすすきのの隅っこのほうで50年ほど続くホストクラブなんだ」 「馬鹿なこと言っていないで、早く飲み物をちょうだい」法子はそう言いながらクロエのジャケットを脱ぐ。例の気の利くボーイがすぐに上着を預かりに来たので、僕は彼女の飲み物を言いつける。 「いつものでいい?」と僕は一応法子に尋ねてみた。 「その質問、何千回目かしら」と彼女はあきれたように言いながら、クロエの鞄から取り出したショート・ホープを取り出す。僕はさりげなく火をつけ、さりげなくジッポ・ライターを胸元にしまった。そうしてボーイに目配せをすると、彼は理解したというそぶりも見せずにバックへ引き返していった。ほんとうにすべてをよく理解するボーイだった。まるでマイク・ブライアンとボブ・ブライアンのダブルスをみているような気持にさせられる。  ボーイがペリエ・ジュエ・ベル・エポックをもちやって来るとき、僕は法子が渋谷のバーで18歳の学生からナンパされたと話すのを聞いていた。僕は彼女が何歳なのか知らないけれど、すくなくとも20歳はこえているようだと思う。 「それでその子、私をみつけるや否やなんて言ったと思う?」 「わからないな」と僕は話の先を引き出すように言う。法子の話はいつも短すぎず、長すぎない。 「『お姉ちゃんに似てる』だって。ほんとうにアタマにきちゃうと思わない?わたし、グラスに入っていたウィスキーをグラスごと叩きつけてやろうと思ったわよ。だってその子、ハリウッド映画に無理やり出演させられたえなりかずきみたいな顔をしているのよ」僕はハリウッド映画に無理やり出演させられたえなりかずきを想像してみた。それはたしかに愚にもつかない顔をした、やせっぽちで魅力のない青年を思わせた。彼女のたとえはいつだって、的確な効果を生む。 「それで」と僕はボーイが持ってきた飲み物を見ながら言った。「けっきょくそのあとはどうなったの?」法子はいつも、シャンパンが来るタイミングに話の終局をもってくるのだ。  しかしその日、彼女は正面を見据えて固まったまま動かなかった。前に彼女がこの状態になったのは、新入りのボーイが彼女の上着を取り違えて持ってきたときのことだ。僕は何かしら不穏なことが起きているのは間違いないと思い、次の事態にそなえた。 「あんた、馬鹿じゃないの」と彼女は言った。 「そうかもしれない」と僕はひとまず答えた。「申し訳ないと思うよ」何について申し訳ないと思うべきなのか、それはすぐさまわかることだ。 「今日が何の日か、わかっていないの?」法子はこちらに向きなおり、拳を震わせながら言った。「ああ、かわいそうな人」彼女が言った「ああ」は、店内に響くどんな音よりも力強い音響として増大していった。隣のボックスでは中年の女性が寝込んでしまい、店の入り口には僕の新たな常連客がたどり着いていた。世界中の沈黙と騒音が、歌舞伎町のこの一角に押しつづめられてしまったみたいだった。  「よかったら、訳を話してくれないかな」と僕は仕方なく言った。僕の一言に法子は、最初さらに表情を固くし、そうしてすぐにそれを緩めた。「あなたのそういうところ、好きよ」と彼女は言った。そうして手近にいたボーイを自ら呼びつけて、何事かを耳打ちした。  「どうしたっていうの?」僕は事態を飲み込むことができなかったけれど、とにかく法子が元の調子を取り戻したことに安堵していた。彼女は二本目のショート・ホープを取り出し、僕のほうを向いた。僕は手早く火をつけ、次の一言を待った。 「あなたみたいな職業の人が、自分の誕生日を営業に使わないなんてね」と法子は言った。僕はすこしの間彼女がなんと言ったのかわからなかったけれど、それがようやく僕の誕生日を祝いに来たのだということを示しているのだと理解できた。それはつまり、僕が21歳の誕生日をむかえたということだった。 「ありがとう」とひとまず僕は述べた。それは儀礼的で事務的な返事にすぎなかったが、彼女を満足させるには十分な効果をもたらしたようだった。 「年齢の本数分、飲んでよね」法子はいたずららしく笑い、僕のワイシャツのボタンをひとつ外した。「もちろん」と僕は言った。 「ねぇ、その『もちろん』っていうの、やめてくれない」と法子は言った。「前も言ったように」と、彼女はさらに付け加えた。  僕は彼女に何と言ったのかをもう一度訊こうとしたけれど、それと同時にシャンパンが運ばれてきてしまった。僕は自分のために用意されたヴーヴを、仕方なく瓶のまま口にした。アルコールの勢いは発泡により体中にいきわたった。僕は彼女の言葉を反芻しながら「ねぇ、その『もちろん』っていうの、やめてくれない」という言葉の意味を考えていた。一本目は終わり、二本目が開けられた。コルクが飛ぶ音を最後に、僕の聴覚は失われた。彼女は言った。「ねぇ、 その『もちろん』っていうの、やめてくれない」それはまさに、直子が京都の療養所で口にした言葉だった。直子が僕の固くなったペニスを見ながら「そういうのって、辛い?」と訊くまさにその直前に、僕に対して言った言葉だった。  19本目のヴーヴを、僕はほとんどこぼさずに飲み干した。そして20本目のコルクが飛んだ。僕はすべてを飲み干したら、法子の言葉の意味を訊くべきだと考えていた。彼女の言葉に含まれた絶対的な空気は、シャンパンの気泡以上に勢いよく僕の体内を駆け巡っていた。その途端、法子が僕の手からシャンパンのボトルを奪い取り、それをほとんんど一息に飲み干してしまった。店内はまったくの沈黙に包まれた。まったき沈黙を破るかのように、隣のボックスで例の中年女がひどいしゃっくりをした。  「20歳の馬鹿馬鹿しい一年間はどうだった?」と法子が言った。あくまで直線的な目線は僕をとらえて離さなかった。僕はその目線にとらえられたまま、新大久保の路上でフランクフルト状の何かが捨てられたときのことを思い出していた。あの哀れなフランクフルト状の何かは「ほんとうに」金属処理工場でプレスされてしまうのだろうか。もちろんそんなことをそこで言いだすわけにはいかなかったので、僕はただ「随分といいものだった。おかげさまで」と答えた。「いまこの瞬間の緊張が途切れれば、21歳もいいものになると思うのだけれど」  法子はまた笑いだした。何かがおかしいのだ。今日は、この世界のなかでは完結しえない何かが起こっている。僕は周りを見渡したけれど、もう店内の誰もが僕たちのことには目もくれなかった。面倒な痴話げんかとでも思われたかもしれないが、その無関心さは常軌を逸脱したものだった。  「あなたは21歳になることなんてできない。私が21歳になれなかったように、あなたもまた20歳と21歳とのあいだを行き来することになるのよ」そう言いながら彼女は、僕に20本目のヴーヴを手渡した。「ハッピーバースデー、ワタナベくん」その声は明らかに直子のものだった。全身クロエに身をつつんだ容姿はまったく違ってみえたけれど、その時彼女が発した声は、駒込まで一緒に歩いた直子のそれであり、京都の山奥で自ら命を絶ったはずの直子のそれだった。 「直子」とだけ僕は言った。そうして夢中で20本目のヴーヴを飲み干した。  こうして僕は、49回目の20歳をむかえた。

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